今日もぽれぽれ

「ポレポレ」とはスワヒリ語でのんびり、ゆっくりという意味です♡

母から娘におくる言葉

前回も書いた『東京タラレバ娘』の漫画では、とにかく次の東京オリンピックまでには相手をみつけようと躍起になっているのが主人公ですが、人生、結婚がゴールだなんて思っていたら大間違いですよね。むしろ、すべては結婚から始まるといってもいいかもしれません。

結婚前は、親がいれば経済的にも精神的にも支えてくれますが、結婚し、子供が出来たら、さすがに親をあてにして人生を送るなんてことは出来ません。孫の面倒はみてくれるだろうし、かわいがってもくれるだろうけれども、生活の面倒まではさすがに親に頼めません。親にも親の人生があるのですから。

私が20代の後半で結婚を決意した時、母は私に言いました。「結婚した後は、どんなに自分のやりたいことがあったとしても、家庭にはいって夫を支えなさい。その覚悟が出来ないのだとしたら、結婚はしない方がいい」と。

結婚は、覚悟を持たないといけないんだと思い、その頃働きながら油絵を習っていたんですけれども、その趣味も仕事もみんなやめて、母との言いつけを守り、私は自分の仕事も持たずに丸腰で結婚してしまいました。

そして、今日の漫画です。

f:id:poremoto:20170209210128j:plain

漫画にすると、4コマなのであっさりしていますけれども、リアルの夫婦生活は泥沼でした。その上、父が大腸癌にかかって手術になったり。経済的にも精神的にも夫婦として破綻しても耐えていた私ですが、生きるか死ぬかという手術をした父の病院にも一度も見舞に行かない薄情な前の夫には、さすがの私も我慢の限界を感じてしまいました。

 

まあ、あまり前の夫のことを書いてもしょうがないことなので省きますが、私にとって何がつらかったかというと、離婚そのものではなく、人生の大きな落とし穴にはまったというのに、そこから這い出す術がなかなかみつからず、もがき苦しんだことでした。

タラレバの話で言うならば、「あの時、母の言いつけを聞かず仕事もできるような生き方をしていたら」「結婚しても、何か仕事を持っていれば」ということでしょうか。

「夫婦たられば物語」が書けますよね(笑)

 

これから、結婚する娘には、社会人になる時からずっと繰り返し、自分の仕事を持つように言い続けて来ました。もし結婚するようなことになったとしても、夫がずっと自分の人生を支えてくれるとは限らない、夫婦家族といえども危機管理は大事です。甘い結婚生活なんて正直続かないと思った方がいい、自分の人生にこの先起こってくることに自分で落とし前つけられる、そんなタフさが大事なんだと。

母から娘に送る言葉でした(笑)

 

 

 

一緒に作ってきた思い出

一人暮らしをしていた娘が、そのままお式もあげずに入籍だけして結婚してしまったので、結婚したという実感が親の私にはあまりなくて、この3月に結婚式をあげるので、その時になったら、実感するかしら?なんて思っていたのですが、今年のお正月に娘の抜けた3人でお節をいただいていたら、ああ、もういないのね、と急に実感してしまいました。

去年までは、義父と義妹も一緒に我が家で賑やかにお正月を迎えていたのですが、昨年義父がケアホームに入所してしまったので、義妹は義父を気づかいお正月はそちらで二人でお節をいただくということになり、ついに我が家は3人だけになってしまったのでした。

子供が小さい時は、クリスマスからお正月にかけて「家族をする」時間が多く、それが長いこと習慣化されてしまうと、何も考えずに、家族がいることが当たり前になっていました。家族が集まると皆の食事の世話と後片付けに追われる年末年始、いつもふうふう言っていました。気づいたら、コンパクトになっていくものなんですね。

今年はおそらく何十年ぶりかで紅白歌合戦を最初から見させてもらいました。夫に「今年は絶対に紅白歌合戦を見るんだから!」と前もって言っていたら、「毎年見ているじゃないか、何をいまさら」と言われたのでしたが、それは夫の観察力不足です。男にとっては楽しい年末年始かもしれませんが、女は紅白歌合戦の時間帯はチラチラテレビを見ながら、実は台所で料理と格闘しているのです。ほんと、わかってないんだから。

そんなことで、今年のお正月は家族3人で静かに迎えたのでした。

嫁ぎ先のご両親のもとに年末から行っていた娘が、正月明けて3日に我が家に顔を出しました。今日の漫画はその時のものです。

f:id:poremoto:20170207000135j:plain

いつもお騒がせの娘。新年早々、結婚式に使うらしい赤ちゃんの写真が入ったアルバムがほしいと言い出しました。立体テトリス状態でギュウギュウに詰まっているトランクルームから、目的の段ボールを探すのは気の遠くなるような作業でした。汚れるし、腰にくるし、散らかるしの三重苦です。正月早々、大掃除の時よりひどい状態になってしまいました。

ランクルームの奥を探しても、目的のアルバムはなかなか出てこなくて、代わりに小学校時代の夏休みの自由研究やら、賞状やら、作文やらがわんさかと発掘されてしまい、まるでタイムカプセルの箱を開けてしまったかのようでした。

あまりのなつかしさに心を奪われ、段ボール類が散乱する廊下で思わず娘と思い出の品を見入ってしまいました。

子供を何人産もうが、その子供の親をやるのはどの母親も初めてです。だから、子供のためというよりも、ほとんど自分のために思い出の品を保存してしまうのです。子供からすると、なんでそんなものをとってあるのかと思うようなものまで(笑)

そんな作業をしながら娘が言いました。

「彼の家でもね、お母さんが、彼のいろんなものを、それは大事にとってあって、それらをいっぱい見せてくれたの。ああ、彼はとっても大事に育てられたんだなーって、その時思った」

「そうよ、どの親も小さい時から大事に育てているのよ」と私。

成績表を見ながら笑い、絵を見てなつかしみ、息子の漢字ノートに笑い、ああ、私はこういう思い出を子供達と一緒に作ってきたのだなあとしみじみ思ったのでした。思い出の品を手にとりながら、間も無く3月には娘の結婚式、私の親としての卒業式が来るんだなと思いました。

うまくつじつまあってくる

東村アキコ作の『東京タラレバ娘』という漫画が好きです。

どういう漫画かというと、自分の仕事を持ち、容姿もそこそこいけているけど、いい男を求めすぎているのか、男運がないというべきなのか、気づけば彼氏いない歴が続き「あの時ああしてたら」とか、「もしあの時こうしていれば」とグダグダと悩み、女こじらせている適齢期真っ只中の仲良し3人娘のお話です。

「たられば」の話をしても意味がないというのはわかっているけれども、女は時々自分の生き方を「たられば」で振り返ったりします。

人生のドツボにはまると、現実とは異なる結果になるために何がいけなかったのか→どうしてこんなふうになってしまったのか→あの時こうしていたら、と不毛なこととはわかっていながら、同じ問いを自分にぶつけてしまうものなのです。

私の場合は、しなかった後悔よりは、してしまった後悔の方がほとんどですけれども、「もし、今の夫と最初から結婚していたら?」と「たられば」で考えたりしたことは、もちろんあります。

ある時、そのことを娘と話していたら、なんとまあ、娘の回答がすごく立派なんです!いっぱい失敗して、人生とっ散らかってしまった私に、天から光が差し込むようなことを言ってくれるのは、やはり、娘ですよね。

女友達よりも鋭く的をついたことを言ってくれるこの娘がいたおかげで、私はますます、自分の人生を回り道して来たことを、むしろ幸運だったと思えるようになったのでした。

今、「たられば」でお悩みの方!

人生はグダグダしててもご心配なかれ!

とにかく、「たられば」でふりかえることなく、前に突き進んでいけば、予想だにしない人生が待ち受けていたりするのです。その時は、「あーよかった、あの時、ああなってくれたおかげだ」

と、つまずいた人生の時間を笑いとばせるようになるのではないかと。

f:id:poremoto:20170204013654j:plain

悪路と思える道も、実は面白い道につながるかもしれませんよね。ワクワクしながら、とりあえず前に進みましょう。

 

漫画の吹き出しにある「お父さんの最初のプロポーズ」ってなに?って思われた方は下記の順序で、ふりかえってお読みくださいね

家族になる前 その1

家族になる前 その2

家族になる前 その3
家族になる前 その4

家族になる前 その5

家族になる前 その6

家族になる前 その7

家族になる前 その8

家族になる前 その9

家族になる前 その10
私の「22才のわかれ」① ②
家族になる前 その11

家族になる前 その12

自分の番を生きる

今、還暦を迎え、自分を中心に世の中をあらためて見つめ直してみたら、とても幅広い世代の人たちに囲まれているような気がします。

米寿や卒寿を迎えた親世代、私と同じあら還世代、既婚・未婚の子供世代、新生児から小学校くらいまでの孫世代。

ですから、頂く年賀状の添え書きも、高齢化した親の話題から、自分たちの定年のこと、子供の結婚、孫の出産や小学校入学と、実にバラエティーに富んでいます。どれもこれも、当事者の人生においてはトピックです。

 

これまで、私は自分の人生はまだまだと言いながら走り続けて来ましたが、昨年娘が結婚し、ふと気づくと娘の人生の脇役になっているような気がして来て、ああ、自分も歳をとったのだなーと思い始めるようになりました。とはいえ、年齢だけが進んでしまい、本当の自分の中身は、まだ歳相応に追いついてはいませんが。多分、それはこの先もずっとそうなのではないかと思います。

自分の子供の成長を棚に上げ、友達に孫が出来たという話題になると、この間子供が大学を卒業したというのに孫?と驚かされます。

しかしながら、自分の親の姿をみれば、とてつもなく月日は流れているのです。

つい先日、母を入浴させ体重を計ってみたら26キロしかなく、石川啄木の『たはむれに母を背負いてそのあまり軽きに泣きて三歩あゆまず』という短歌を思い出してしまいました。あの何でも自分でやらないと気のすまない聡明で気丈な母が、赤児のような姿で湯の中で足を投げ出し喜んでいるのを眺めていると、泣きたくなるし、可愛らしくて抱きしめたくなります。それと同時に、これまでの歳月の速さを痛感し、自分の人生はまだまだ、なんて言っていたら笑われるなあと思いました。

人生は一生懸命生きていると、ほんとに時間はあっという間に過ぎていきます。子供を育てていると、なおさらですよね。

今、自分の番を一生懸命生きてますか?

タスキ、ちゃんと渡せる用意してますか?

タスキはぐちゃぐちゃになっても、自分の一度かぎりの人生をとにかくがむしゃらに進んでいくうちに、なんだかね、人生の辻褄が合って来るものなのです。不思議。

f:id:poremoto:20170131180150j:plain

 

家事とは言わない!

家事とはなんぞや?

ブリタニカ国際大百科事典によれば
家庭生活を円滑に営んでいくうえに必要な諸作業をいう。料理,裁縫,育児,洗濯,清掃,生活用品の購入,家計の切盛りなどが含まれる。家事は人間の生命維持に直接関係あるもので,家庭生活を支えるものである。

 

この家事、結婚男性が家でやることは、みじめなことなんでしょうか?「僕なんてずいぶん家事やらされてますよ」って人前で言う男性がいますけれども、やらされていると言う時点でNGのような気がします。

仕事している結婚女性が「私は家事をやらされている」なんて言うでしょうか?ほとんどの女性は、そんな言い方しませんよね?

仕事していようが、仕事していなかろうが、家事というのは人間の生命維持にかかわる大事なことなのです。

仕事している夫は家事をしなくてもよい、というのなら、世の中の母子家庭の女性は全員家事をしなくても良いということになります。

 

最近の若い結婚男性は家事を積極的に手伝っているひとも多く見受けられ、娘の結婚生活の話を聞いたりすると、羨ましくてしかたがありません。夫婦共働きなら当然ですよね。

ところが、大正から昭和ひとけた世代の親に大事に育てられた男性は、家事は女性がするもの、というように決めつけているひとが多いです。家事をすることは恥みたいに思っているように思います。そうは言っても、その親たち世代は、小さい頃に家事をお手伝いで色々とやらされてきた人たちなので、本当はけっこう出来たりします。そもそも生活環境が今のように裕福ではない時代に育っていますから、箒と塵取りを使って掃除は出来るし、雑巾を上手に絞って雑巾掛けだって出来ます。

うちの父は亭主関白でしたけれども、身の回りはいつも整理整頓を怠らなかったし、料理などは母よりも上手でした。やらないというのと、出来ないというのは、天と地ほどの差があります。家事はいざという時に出来ないではすまされないというか、ひとが生きていく上で、男女関係なく、家事は出来なくてはいけないものだと思います。

正直、家事が楽しいなんて言っている結婚女性はほとんどいません。皆、報われない家事をしかたなくやっているのだと思います。

これからは老老介護の時代です。今、家事のすべてを奥さんに依存している男性は、奥様が元気で達者なうちに、少しずつ家事に協力していくべきだと思います。定年退職してから「やらされてる感」でやる家事ではなく、生きるために家事をするというふうに。家事苦手な女性も同じことですね。

だって、いつまでも健康で仲良く生き生きした夫婦でいたいですもの。

f:id:poremoto:20170125184440j:plain

あたりまえじゃないのよ

今の政権は「すべての女性が輝く社会づくり」を提唱していますが、安倍首相の描く女性の活躍が期待される社会で、果たして女性は輝きを失わずに生きていけるのでしょうか?

 

私はいつも疑問に思っています。たしかに、働く女性の環境が整って、社会的地位も得られるようになることは素晴らしいです。でも、それは外でも内でも働けっていうふうにしか聞こえないのです。

時短勤務であろうと、家に戻れば、家での労働が待っているわけです。その上、家事労働は女性がして当り前と思われていて、疲れていても炊事掃除洗濯の家事や子育てに関わるいろんなことは、たいていが女性がやらなくてはならないのです。男性が家事をやったとしても、それは「手伝う」というポジションなのではないでしょうか。

私の娘も、仕事と家事を両立する私の姿を見ていても、それが輝いているなんて思っていないと思います。常に時間が足りなくて、睡眠不足で、家事がちゃんとできていないことへのイライラが蓄積され、仕事の責任と重圧でも苦しめられ、余裕がなかったように思います。

先日、娘がやってきて結婚式のために小さい頃の写真が欲しいと言われ、トランクルームの段ボールをひっくり返し大騒動したのですが、ほんとに幼児期の写真だけしかアルバムに入っていなくて、あとは未整理の写真の山。自分で時系列に揃えて整理してねって感じで引き渡したのでしたが、家族の一番大事な記録すらまともに作って来れなかった自分の生活がいやになりました。

 

だからね、私は少子高齢化社会に向けて、ぐだぐだと言葉を連ねたりしないで

「男も家事をしろ!」と言いたい。

これは、もちろん息子にも言っているんですけど、ちっとも理解してくれてません。男が自分ごととして家事をするようになれば、女性は外でも内でも輝けるんです。手伝ってあげる家事ではなく、あたりまえのように家事をしてほしいのです。

ということで、今日は最近思うところを漫画にしてみました。

f:id:poremoto:20170123180052j:plain

 

 

 

病と老いは気から

健康で長生きするということ、それはなかなか難しいことです。

昨年、92歳になる義父は認知症でケアホームに入所し、89歳になる実家の母は9月から寝込むようになってしまい、二人ともそれまで本当にしっかりしていたのですが、老いは一気に来るものなのですね。

この歳になると、年末は喪中のお知らせが増え、さすがに健康で長生きしている親の方が減ってきているのは事実ですが、自分の親にだけはなんとかいつまでも元気でいてもらいたいと思ってしまいます。

私の実家は、昔ながらの古い家なので、真冬になると家にいても冷え込みが厳しく、寒い廊下を歩かせて、真北で足場の悪い浴室で母を入浴させることは不可能だと判断しました。そこで、兄とよく話し合い、兄にクルマで母を連れてきてもらい、私がひとりで母を入浴させるということになりました。

私は浴室に専用の椅子を置き、また更衣室にも椅子を置いて手すり代わりにつかまってもらえるように工夫をして、最近ようやく上手に入浴させることができるようになってきました。

ただ、一昨年くらいから母は自分で足の爪を切ることをやめてしまったので、恐ろしいほどの巻き爪になっていて、そればかりは私ではどうすることもできなくなっていました。

インターネットで色々と調べたら、実家のすぐ近くにフットケアサロンがあり、電話してみると出張もお願いできることがわかりました。ドイツ式の爪切りで爪をカットした後、歯医者さんみたいな水の出る小さいドリルで爪を削ります。いわゆるネイルサロンのお手入れとはちょっと違います。こういうサービスを知っているのと知らないのとでは、年老いた母のQOLがずいぶんと違ってきますよね。

今日は、先日、我が家で入浴介助して、その後実家で訪問フットケアを受けた日の出来事を漫画にしました。

寝たきりになって、すっかり考え方がネガティブになり、お世話をしていると常に自分はもうダメだと言い続けていた母だったのですが。。。

f:id:poremoto:20170114001559j:plain

じゃーん!

氷川きよし様には、本当にパワーを頂いております。夜は早く寝てしまう母ですが、この間の紅白歌合戦も、氷川きよしはトリのひとつ前だったので、母は頑張って最後まで見ていたそうです。氷川きよしのことになると、自分の寝たきりの生活をすっかり忘れてしまうし、孫の結婚式よりもパワーのスイッチが入ります!まったく、恐れ入ってしまいます(笑)

結婚式も、明治座の公演もどちらも行けるといいですね。