読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

今日もぽれぽれ

「ポレポレ」とはスワヒリ語でのんびり、ゆっくりという意味です♡

母と娘の思い出2

続きです。

f:id:poremoto:20170322224022j:plain

中学受験をしていないので、子供にとって初めての受験が高校受験でした。

その受験のハードルを娘が自ら最高レベルまで上げてしまったので、親としては気が気でありません。国立高校の合格者発表の掲示なんて、男子は多いけれど女子なんてほんの1クラス分。大学受験と違って浪人して受け直すなんてことはできないのだから、ものすごいプレッシャーでした。当時は、絶賛母子家庭時代でしたので、娘の親思いもわかるけれども、落ちたら私立のすべり止め高校に行ってもいいんだからねと言って受験させたのですが、絶対に受かると言い張るので、娘の迷いのない自信を信じて受験させたのでした。

合格発表を後ろから見ていて娘の飛び跳ねている姿で合格を知った時、なんと校庭にあったバスケットゴールの下に塾長がいるではないですか。私が「合格発表はもう見たんですよね?」とお聞きすると、先生は軽く頷いて目を細めていらっしゃいました。「お母さん、合格した!」と私のもとに走って来た娘に塾長のことを教えると、娘も塾長に駆け寄り二人して合格の喜びを分かち合っていました。すると塾長が「では、また高校でもよろしく」とおっしゃったので、「え?この塾、6年制だったんですか?」と聞くと「そうですよ。高校受験や大学受験が目標ではなく、うちの塾は最高学府の大学で学問できる力を身につけるための塾です。ご存知なかったのですか?」と笑顔で語りました。

娘は「塾大好き!高校でも塾に絶対に行く!」と言ったので、親としてはもうこの塾に子供をあずけるしかないなと思ったのでした。私もこの塾の大ファンになっていたからです。なぜなら、この塾長先生が私たち親子に色々と便宜をはかってくださったからです。

というのは、国立高校の受験科目は都立高校の試験科目とは全く異なり、その入試のレベルは中学とは思えない難易度の高いものでした。ですので、国立受験コースというのを一般の授業とはまた別にお金を払って取らないといけなかったのです。

母子家庭の私に、普通の授業料にさらに授業料を上乗せして支払うなんてとても無理でした。中学2年の2学期に、私はこの塾長宛てにメールでお手紙を出したのです。

「うちの経済力ではとても国立受験コースのお金を支払えません。貴塾には高校3年次に特待生制度がありますが、中学の3年次にも特待生制度を設けて学費の免除をしてください」と。

すると、塾長が面談時に「少子化が進み、我が塾も非常に経営難で苦しい財政でやっておりますが、今回のお手紙のご提案について塾内で協議し、お子さんの将来のために、2年最終の学力テストの順位で特待生制度(1番:全額、と2番:半額)を設けることにしました」と異例の早さで答えを出してくれたのでした。そして、2番になった娘はその特待生制度を使って授業料が半額ですんだのでした。

しかし、今から考えてみれば、よくもまあそんな図々しいお願いができたものだなと思ったのですが、やはり自分のためというよりも、娘の将来のためを思ってだからこそ、できたのではないかと思います。まあ、夫はそうでなくても図々しいと言ってますが。。(笑)

 

高校に上がると、それまでの無駄に厳しい校則のある区立中学とは180度異なり、制服ない、上履きない、お掃除やらない、のないないづくしの自由な校風でした。何もかも生徒の自主性を重んじるところがあったので、生徒は逆にしっかりとしていたのかもしれません。ある時、七夕はクラス女子全員で浴衣を着ていくといくことになったというのです。当時、浴衣を持っていなかったので、夫と一緒に渋谷の観劇後デパートに浴衣を見に行きました。身長148センチの娘が着れる素敵な浴衣は全くなく、子供用の浴衣売場のところにあった藍染にトンボの模様があるのが唯一粋かしらねと言って、浴衣と帯とかなり高価でしたが、夫にお金を出してもらって買ったのでした。朝の慌ただしい時間帯に、娘の浴衣を着付けてバタバタでしたが、浴衣に普段履いている靴とバッグという奇妙な格好で登校したのでした。家に戻ると、情報をキャッチした男の先生までが浴衣で娘のクラスに登場したというのだから、どこまで自由な高校なんだかと思いました。

 

大学に入ると、娘はESSという英語サークルに入ったのですが、ここでは厳しい先輩の指導でそれまで緩く生きて来た娘はかなり精神的にも鍛えられたのではないかと思います。入ってすぐにサークルおそろいのユニフォームを作ったのですが、それぞれ袖のところに好きな言葉を入れられ、娘の袖には「目指せ!150センチ」とあったので、大笑いしてしまいました。とても低い目標だったのにもかかわらず、いまだに到達できていません。

娘は、遠征やらイベントやらで、連日夜遅い帰宅で戻って睡眠1〜2時間でまたすぐに起床して出かけるなんてことが日常茶飯事でした。娘の目覚ましはかなり前倒しした時間設定で鳴るのですけれども、これが全く起きないのです。隣の部屋の私の方が耳ざといため娘の目覚ましが鳴り響いているのを止めに入ると、起きるという毎日。しかし、本当にやばいとなると、前日にどんなに遅くに帰ってきても、私に朝のモーニングコールを頼むのでした。私までが自分の睡眠時間を削って5時起きさせられ、本当にいい迷惑な話でしたが、寝坊で大騒ぎになることもよくあったので、私も気を引き締めて起こしました。

 

社会人になってからは、互いに好きなミスチルのコンサートに行くようになりました。このチケットはなかなか当たらない。やっとの思いで当選して、娘と一緒に行けることを楽しみに会場に行くと、「私たち、赤の他人でいましょ」みたいなことを言われて、「おい、このチケットどんだけ大変な思いしてとってるのか知ってるのかー!」みないな気持ちになるところを、100歩譲って大人しく他人のふりしてライブに参加しているわけです。

 

こうやって、思い出を振り返ってみて気づいたのですが、それほど大事とは思えない日常にこそ、家族のドラマがあるのですね。私が描いてる漫画のシーンなんて、どれもどうでもいいようなこと、そのどうでもいいようなことが、私の記憶の箱で温められ続けているのかとと思うと、とても不思議な気持ちになります。

仕事漬けで家族と共にする時間がもてないひとがいると思います。特別なことをしなくても、家族のつながりはできてくるもので、今一度日常を振り返ってみるといいと思います。私も父親に上手に飛ぶ紙ヒコーキの作り方を教えてもらって、スッと美しく飛んだ時の感動とかをいまだに覚えています。そういうたわいない時間の積み重ねが、親と子供の関係性を深いものにしていくのかなって、この歳になって思うようになりました。

 

おそらく、これらの漫画に描いたシーンはどれも家族はあまり覚えていないのではないかと思います。私自身もこれを描きたいって強く思って描いたわけでもなく、ふっと思い出したシーンを描いてます。

これを読んだ方も、読みながら似たような経験を親側、もしくは子供側でしているかもしれません。その一瞬チラッと脳裏に浮かんだシーンをこの先も大事に記憶ポケットにしまっておきたいですよね。

 

母と娘の思い出1

今日の漫画は、特別バージョンです。

娘との思い出を漫画にしてみました。今日はその1です。

f:id:poremoto:20170322205736j:plain

 

娘を一言でいうと、まったく手のかからない子でした。

叱った時でも、怪我した時でも、泣き始めたなという時に、「泣かない」と私が言うと、ぐっと涙をこらえ「泣かない」と言いながら泣き止みました。涙いっぱいためて「な、なかにゃい!」って言う娘が愛しくて、ぎゅうっと抱きしめたものでした。

 

娘の通った道灌山幼稚園は、ものを大切にする教育が徹底していました。それは子供が遊ぶ折紙でも徹底していました。上手に折ることのできない子供達に折紙を好きに与えたら、紙がいくらあっても足りません。そこで、園長先生がお母さんがたに、子供の使う折紙を広告のチラシで作ってくるように言ったのです。子供はどんな柄だってかまわない、ようは折り方を覚えるのですからと園長先生は言いました。けれども新聞広告は意外とペラペラな紙ばかりだったので、ちょうど不要になったセシールの通販カタログを丸一冊、定規をあててカッターで一気にカットし、大中小の正方形の大きさに切った折紙を幼稚園に持たせました。デザイナーだった私の得意とするところでしたが、折る前にじっくり見るとかなり大胆な柄というか、写真でした(笑)

 

母子家庭時代の私はパソコンを買って、子供達にもパソコンの使い方を教えて一緒に遊びました。当時、ネット上の掲示板で交流するのが流行っていて、私は掲示板仲間とオフ会で知り合ってから、自分よりずっとずっと若い人達と仲良しになり、やがて家にも遊びに来るようになりました。ちょうど、ドラえもんに登場するキャラクターが牌になって遊べる「ドンジャラ」という子供麻雀ゲームを買ってあげたばかりだったので、若いお兄さんやお姉さんが家に遊びに来ると、子供達は大喜びでドンジャラで遊んでもらっていました。牌の中には、のび太君のママがいるのですが、それは何故だか皆に不人気で、ママの牌が来るとすぐさま捨てちゃうのでした。

私は、若い子達が何人来るのかわからない時はおでんをこしらえたのですが、娘はおでんがあまり好きではなかったので、「おでんは嫌い」と言ったら、そこに来ていたお兄さんにお母さんの作ってくれる料理にそういうことを言ってはいけないとたしなめられていました。皆、九州とか遠い親元から離れて東京の学校に通っている若者達だったので、母親の存在を痛いほど感じていたのでしょう。

 

中学に入ると娘のためにちょっと遠いのですが、水道橋にある館山塾という進学塾に入れました。ちょうど郵便ポストにDMが入っていたので、その塾に娘と見学に行ってみると、素晴らしい教師陣が揃っていたので、すぐさま入塾を決めて手続きをしました。その塾は、勉強の習慣を身につけさせるという塾で、実に細やかに生きた教育をしてくれる塾でした。例えば、新聞の社説を切り抜かせて、事実と著者の意見や考えの部分を区別し、わからない言葉の意味を辞書で引かせて、どういう内容が書かれているのかを理解させる勉強とか、竹取物語を丸暗記させ、単語の品詞を理解させたりとか。

私が最も不得意とする国語を娘が大好きになったのは、まさにこの塾のおかげです。そうそう、当時の娘の愛読書は「国語便覧」でした。そんな娘だから、クラスの女子とうまくやっていくのは難しかったようです。常にジャニーズのタレントか男子の話をしている女子達とはだんだんと気が合わなくなり、やがては、仲良しグループと一緒にいても、まるでいないがごとくに無視されるようになりました。ある日、私にそのことを告白したのでした。心打ち解ける友達がクラスの中にいないこと、また、クラスの中にいて、ひとり孤独を感じてしまうこと、娘の気持ちが痛いほどよくわかりました。そんな時こそ、無限にひろがる本の世界に自分の可能性を見出してもらいたいと思い、娘に好きでもない友達と群れていないで、積極的に自分ひとりになることを勧めたのでした。

 

結婚式前日の面倒くさい人

結婚式前日の新婦の母親は、それなりに支度があります。

お風呂に入ってパックするとか、結婚式当日はヘアを依頼しているので、シャンプーは前日までにやっておくとか、自分のメンテナンスを予定していたのだけれども、娘が帰ったあともバタバタしているうちに、お風呂に入る時間すらなくなってしまいました。朝も早いのでとりあえず睡眠優先でベッドに入ってみたものの、なんだか気持ちが高ぶってほとんど眠れませんでした。

それというのも、前日に夫が結婚式当日の朝は、いつもよりもごはんをいっぱい食べていかないと、なんて言い出したからなんです。いつもならご飯が余っていたけれども、うな重を取ってしまったので、ご飯がないし、じゃあ朝すごく早起きしてご飯を炊いて用意したほうがいいのか?いやいや、そんなことしていて、着付けの時間に遅刻したら大変。コンビニにでも行って、何か買って来たほうがいいのかしら?とか、子供じゃないんだから、考えたら夫が自分でどうにかすればいいことなのに、などとあれこれ考えていたら、眠るタイミングを逸してしまい、結局2時間くらいしか眠れませんでした。

その要因を作ったひとを漫画にしておかないとね。

 

f:id:poremoto:20170321171424j:plain

そして当日の朝は、まだ誰も起きていない早朝から、夫と息子のために、卵とハムのトーストサンドを作りラップして、私は前日残したうな重を食べて、バタバタとシャワーを浴び、いつもよりはちゃんとメイクをして、家族を残して先に家を出たのでした。

娘の結婚ということで、おそらく晴れがましい漫画を期待している人も多いと思います。しかし、案外家族というものは、結婚式の当日ギリギリまで、色々とあるものなのですね。一生にそうあることでもないので、おめでたい話だけではなく、影の部分もちゃんと漫画にしておきました(笑)ふふふ…

 

結婚式前夜の儀式

世の中的には、結婚式直前はどのように過ごしているのでしょうか?

私たち世代は、嫁ぐ前に両親の前でこれまで育ててくれたことへの感謝の言葉を述べ、一方親も嫁いでいく娘にお祝いの言葉を述べる、というストーリーを描いていたので、夫といつ娘は来るのかしらね?なんて話していました。

そして、その挨拶に来た時に二人してお祝いを渡そうと思っていたので、娘に「お祝いを渡したいんだけれどもいつ来るの?」とLINEでメッセージを送っていたのですが、何故か既読スルー。

娘の方は、連日仕事が忙しく、その上結婚式の準備も手作りで毎日コツコツと作業していたため、完全に時間破壊を起こしていたようでした。けれども、そこは私もきちんとけじめの挨拶をしてから嫁いでいってもらいたいと思っていましたので、いったいどういうつもりなのかと小言のメッセージを入れたのでした。

すると、娘は周りの結婚した友達などにも聞いて手順を踏んでいたので、まさか私から小言を言われるとは思ってもみなかったようでした。

娘は「結婚を前提にお付き合いする挨拶→同棲→両家顔合わせ→入籍→結婚式」の順番通りでやっていたので、両親へ感謝の思いを伝えるのは、披露宴の時に儀式として立派にやります、みたいに考えていました。

それに対して、私は、そんなことは結婚式のセレモニーであって、それと両親の前で感謝の気持ちを述べるのとは全く別だということを伝えたのでした。(どうなのかしら?私って間違ってるの?いまどきはそうじゃないの?と自問しながら。)

とまあ、そんなやりとりをしたので、娘も心折れそうになってましたが、しばらくして結婚式前夜に家に来て、家族水入らずで夕食をともにしたいというメッセージが来て一応解決したのでした。

結婚式前夜に何が食べたいか考えてみたけれど、私の手作り料理なんかよりも、うな重の出前をとる方が喜ぶと思ったので、お祝いの食事なので大奮発し特上を注文したのでした。

今日の漫画は、その家族のお祝いの食事シーンから始まっています。

f:id:poremoto:20170320232603j:plain

自分の部屋にいた息子が、儀式始まると同時に出て来て、娘の側に座ったので、なんだかすごく変な配置に夫も私も苦笑してしまいました。後学のためにオブザーバーで入りたいということであれば、こちら側に座りなさいと言ったら、息子は椅子を運んで座り直してました。へんなやつ(笑)

そして、肝心の娘は私達両親に感謝の気持ちを伝えて帰って行ったのでした(あとは明日またねって感じで)

 

準備リスト以上の母の愛

再婚してしばらくたったある日のこと、母に呼び出されて実家の二階に行くと、母は押入れから衣装ケースを取り出し、いつの日か娘が結婚する時に必要になるだろうからと自身の黒留袖とその付属品一式を私に譲り渡してくれました。

しかしながら、とりあえず不要なものなので、私はそのままクローゼットにしまい込み、時々防虫剤をケースの中に放り込む程度で、中身を確かめることもなく何年も過ごして来ました。

そしたら、いよいよというか、ついにというか、黒留袖の出番が訪れたのでした。

私の母は準備万端な人だから、備えはバッチリとたかをくくっておりましたが、10日前の夜に、急に思い立って衣装ケースを開けて、式場から渡されたリストでチェックしてみたら、長襦袢半衿がついていないことがわかりました。

私のは広衿タイプという正絹の長襦袢で、ネットで付け方を調べてみたけれども、これがどうにもややこしいんです。(針仕事は嫌いというのもありますが)

しかもネットには「たった一回で上手に付けられる人は、いません。丁寧に手早く出来るようになるには、やはり日頃の訓練です。初めて付ける人は、1時間くらいかかるかもしれませんが、早く出来るようになると、この方法で広衿ですと20分以内で付けられます。」とありました。

そんな黒留袖なんて、この先着る機会があったとしてもあと1回くらいだし、日頃の訓練なんて不要ですよね。

それで、我が家の近所にある呉服屋さんに電話で相談したところ、わずか1500円で付けてくれるということがわかり、速攻でお願いしてしまいました。

今日はその時の漫画です。

f:id:poremoto:20170317192731j:plain

母は腰を傷めていて長いこと患っているひとなので、いつも冷やさないようにしていた人でした。そして、私も冷えですぐに膀胱炎になってしまう人なので、母は私に譲り渡す黒留袖一式の中に、毛糸の腰巻を入れてくれていたのでした。

式場の衣装担当の方は会場はとても暖かいですよとは言ってましたが、お式は神社で記念写真は外での撮影ということでしたので、たぶん、母が準備してくれた毛糸の腰巻はとても役立つと思います。

 

 

 

やさしい言葉はうれしいが

季節の変わり目って、自律神経が冒されるのか、真冬より体調くずしやすい私。

そんな陽気とストレスがたまってたのか、めまいはないけれども難聴になる「蝸牛型メニエル」になってしまいました。過去4回くらいやっているので持病になりつつあるのか?この病気は、たかが難聴と放置していると聴力が復帰出来なくなり、しかも症状が出てから48時間以内に治療し始めなくてはいけないというやっかいな病気です。また、繰り返すごとに聴力がなかなか戻りにくくなり、完全には戻らなくなります。

私は耳鼻科専門病院にいつも行っていたのですけれども、なんせ、花粉症が始まり出したこの時期なので、待ち時間の長さを想像していく気が失せてしまい、今回は地元の耳鼻科にしてしまいました。

ところが今回初めて処方された薬が合わなかったのか、副作用がひどくて、難聴にプラスして胃痛と頭痛と不眠で、体調は良くなるどころかさらに悪化してしまいました。

そんな時、夫も息子も私の身体をとても心配してくれやさしい言葉をかけてくれ、本当に嬉しかったのですが。。。

今日はその時の漫画です。

f:id:poremoto:20170307224151j:plain

大丈夫というのは、実に都合のいい言葉で、私からすると何が大丈夫なのかさっぱりわかりません。

君は寝ていて大丈夫

何もしなくても大丈夫

いろいろ我慢できるから大丈夫

ってこと?

いや、私は、「大丈夫!まかせなさい!僕たちでなんとかするから!」というふうに思い違いしてました。ストレス溜めないように安静にしていたのですが、しばらくすると、家の中はだんだんと汚れていき、「さっさと食器を洗いなさい」とか「ゴミを捨ててよ」とか、息子に集中砲火して注意してましたけど(夫は全く無理なので)、所詮、ゴミ捨てと食器の洗い物止まり。洗濯、掃除、などをしてくれるわけもなく、そんなところを見るたびに結局安静にしていられず、家事をやってしまうんですよね。

いつもお騒がせ娘にLINEでこの状態を伝えても既読スルー。結婚式前でその準備と仕事との板挟みで、彼女は彼女なりにストレスフル状態でした。

家族があてになるなんて、うちの場合に限ってはないなー。

こういう時くらい、家事をやってほしいものです。。。

 

失敗しない家族になる!

ベターハーフというのは、この世の中にいるものなのでしょうか?

最初の結婚に失敗し離婚した当時、結局そんなものはいないんだと思っていました。結婚は求めるより求められて結婚した方が幸せになれると周囲から聞かされていたので、前の夫は当然自分のことをいつまでも大事にしてくれるものと思っていました。しかし、実際には違ってしまいました。

やがて再会した今の夫と私は二人とも離婚経験者同士。彼には子供はいなかったけれど47歳でこちらは二人の子持ちで42歳、互いに若くもないその年齢で、しかも多忙な仕事を抱えていた状況で、家族になってもいいかなと思うまで5年の歳月が流れました。

ところで、結婚前というのは、ふたりの相性が気になったりするものですよね?私のように一度失敗した身だと、より慎重になるわけで、私も色々と調べました。

まず星座では私が射手座で夫が乙女座、あまりよくはありませんでした。血液型では私も夫もB型で、これもあまりよくはありませんでした。動物占いでは私がコアラで夫がトラ、これもあまりよくはありませんでした。姓名判断もたいしてよくはありませんでした。結局どれもこれもあまりいい結果を得られませんでした。

成功する確率が少ない結婚ってどうなんでしょう?と、当然心配になったりするものです。20代ならいざ知らず、子連れの結婚で、もう失敗は絶対に許されないって思うわけです。確率とはいえ悩みました。

子供達とうまくやっていけるだろうか、子連れの私を受け入れて相手のご家族とうまくやっていけるだろうか、お気楽な母子家庭生活から手抜き出来なくなる家事全般をやりこなせるのだろうか?考えれば考えるほど不安になり、その不安を子供の前では見せることできないし、ひとりで悶々と考え込んだりしました。夫も子供がいなかった生活から、一気にふたりの子持ちになり、関係性を築くことや、養育費が一番かかる時期からの父親スタートでしたのでさぞかし悩んだことと思います。

以前勤めていた会社の社長に「よりによって、二人の子持ちの君と結婚するなんて、ご主人はずいぶんと奇特なひとだねえ」とはっきりと言われてしまったくらいですから、世の中的には、男性側に不利と思われる再婚だったと思います。

そういった多くの不安と心配がうずまきながらの結婚でしたけれども、この再婚はうまくいっていると私は思います。今日はその要因を漫画にしてみました。

f:id:poremoto:20170222164901j:plain

私たちは前の結婚の失敗から自然と多くのことを学んでいると思います。

漫画の1コマ目の「夫婦ふたりの時間をつくる」というのは、とても重要だと思います。夫婦ふたりの間に会話が少なかろうと、そんなことはいいんです。夫婦ふたりの時間をつくることが大事に思います。これは、前の結婚には全くありませんでした。

また、家族のお誕生日を皆で祝うというのは、夫の家族の習慣でしたが、家族イベントとしてこれはとても素敵な習慣だと思いました。いくつになっても、自分の誕生日を祝ってくれる家族がいるというのは、ありがたいことです。

また、夫婦両方の両親を大事に思うというのも、当たり前のようでなかなか出来ないことだと思います。これについては、いつも夫に感謝しています。実家に顔を出すたびに、私の母も夫と義父が元気かを尋ねます。私の母も夫に感謝している様子に私もとても嬉しく思っています。

最近、娘が結婚式前ということで、動画を作ろうとしているのか、写真をあれこれ要求してきます。赤ちゃんの時の写真はアルバムにしっかりと収まっていたのですが、小学校時代からの写真は、子供ふたり一緒に写しているものが多いために、アルバム未整理で、写真屋さんがサービスでつけてくれる簡易写真ブックに入れて保管していればまだよくて、それにも入れてないものも沢山あり、目的の写真を探すのも一苦労しています。

まだ家族になる前、夫と一緒に旅行した時のものもいっぱいありました。夫が積極的に写真を撮ってくれたお陰です。何気ない家族の風景も月日が経つと、どれもこれもドラマがあり、それらは共に歩んできた家族の絆になっていました。

なんだかね、気づいたら、私たち夫婦はベターハーフになっていたんじゃないかって、最近思うんです。