体組成計を買いました
新しく体組成計を買いました!
それまで我が家にあったものは、内臓脂肪レベル、推定骨量、筋肉量、体内年齢は計測できませんでした。それは、夫も私も、まだまだ若い気でいたので、そのような項目の必要性を感じていなかったせいもあります。基本、体重計で十分と思っていました。
ところが、最近は人体の特集番組がシリーズで放映され、自分の身体のことを総合的に知る必要性を感じるようになりました。また、ジムでインボディ検査し筋肉量を特に気にするようになると、家でも計測できる体組成計が欲しくなりました。
以前までのはハンドルを持ち上げるタイプだったのですけれど、今度のは個人データを入力しておけば、足を乗せるだけで登録上の人間を識別しスキャンしてくれ、大きな声で結果を教えてくれるので、いちいち屈まなくても数値を知ることができるのはありがたいです。
ということで、本日の漫画です。
体内年齢は予想外な結果で、一番問題ありと思われた夫よりも、息子の方がやばかったです(笑)息子ひとり数値結果に納得いかないご様子。高齢者に優しいサービス年齢を言っているのか?なんてこと、あるわけないです!
朝からこの体組成計に大声で数値を読み上げられると、家族皆それぞれが毎日の食生活を見直し、自分で健康管理できるようになりそうですね。そういう習慣をつくることが何よりも大切なのかもしれません。
それにしても、体内年齢の正直なこと(爆)
どうでもいいような思い出ほど楽しい
子供が生まれると、親というものは、こういうふうに育てたい、こんな子になったら嬉しいなと、多少なりとも甘い夢を抱きながら子育てをしたりするものです。
ところが実際の子育ては、思い通りにならず腹が立ったり、かと思うと笑わされたり、泣かされたり、驚かされたり、想定外の連続ですよね。誰もが、生まれて来た子の親は初めてなのだから、当然といえば当然なのですけれども。
生まれてきてくれただけでもう十分に幸せにしてもらったなどと、最初は親にしてもらった感動で、子供に対して感謝の気持ちでいっぱいになるのですが、そんなことは日々の育児疲れで徐々に失われてしまいます。
育児、家事、仕事に追われ出すと、毎日がジェットコースターに乗っているような勢いで過ぎ去り、子供達との会話もその時一瞬は楽しくなごむのですが、爆風のごとく飛び散っていきます。
今だったら、スマホがあるから動画で簡単に記録がとれるかもしれませんね。でも、そういうのも整理しなければ、洪水のようなデータの中に流されてしまうのではないでしょうか。
大事なのは、時々、立ち止まることのような気がします。そして、スマホやカメラに依存しないで、しっかりと子供の様子をながめ、話を聞いてあげることのような気がします。
結局、子供達は親の思ったとおりに育っていないけれども、子育てを振り返ってみれば、それなりに楽しいことがいっぱいあったんですよね。
最近、夫婦ふたりでの夕食がほとんどなので、いつしか子供達との思い出が酒の肴になって、記憶の引き出しを開けて楽しむようになりました。
そうやって時々振り返ってみると、日常のどうでもいいような出来事の方が懐かしく思い出されるのです。不思議ですよね。
日常の子供達とのくだらない会話、瑣末な出来事こそ、家族にとって素晴らしい宝のような思い出の気がします。
ですから、その一瞬に気づいたら、子供達の様子に心をすませて感じてみましょう。のちに振り返った時、キラキラと宝石のような時間だったと思えるかもしれません。
夫の超自己流体操
夫は、小学校ではリレーの選手だったそうで、足も早かったらしいです。ただ私は夫の小学校時代を知らないので、それが本当なのかどうかはわかりません。けれども、大学時代はサークルで野球のピッチャーをやり、皆に上手だと褒められていたようなので運動神経は良いみたいです。
そんな夫ですが、社会人になって仕事が忙しくなり、接待ゴルフ以外では運動らしきことをほとんどしなくなってしまいました。
私はもともと運動神経のない人間でしたので、スポーツは学校の授業以外ですることはありませんでした。ところが、50歳を過ぎてから、よく転ぶようになり急激に身体の衰えを感じ、ノルディックウォーキングを始めたり、古武道を習いに行き出したりと、身体を動かすことを意識した生活をするようになりました。
また母の入浴介助をするようになってから、さらに身体を鍛えようとジムに通いだし、筋トレをしたり、また骨盤矯正ヨガを習ったり、加齢で衰えて来た身体のあちこちを改善する運動を心がけるようになりました。
夫も何年か前から、健康を意識するようになり、その類の書物を一生懸命に読み、あれを食べるといいとか、これが身体に効くとか、にわかに得た知識で、私に調味料や野菜について語るようになりました。
けれども私に言わせれば、夫の健康法は食べることばかりです。もちろん健康のために栄養を考えることは大事ですけれども、それよりも毎日運動をする習慣を身につけることの方が大事なのではないかと思います。
私が家でスクワットを続けている姿を見て影響されたのか、最近夫も鏡の前で腕をブンブン振り回すようになりました。その動かし方は、全くむちゃくちゃで、私からするとそんな無鉄砲な動かし方を準備運動もせずに始めると逆効果になるのではと思うのですが。。。
とまあ、そんなことで今日の漫画です。
私は、肩と背中が凝るという夫のために、ヨガ教室で教わってきた呼吸をきちんとしながら肩甲骨をよせるという「ゆっくりエクササイズ」をおしえました。
すると、どうでしょう。
夫は、ええーーー?腕を90度にするのがそもそもできないのです。一生懸命やろうとしている姿を見ていたら、私はせんだみつおのナハ!ナハ!というのにしか見えなくなってしまい、笑いが込み上げて仕方がありませんでした。
しあわせの連鎖
還暦過ぎると、だいたいの家は子供たちも自立し、夫婦の時間が増えていきます。それと同時に、それぞれの親の介護も始まったり、ひとつ手が離れると、もうひとつ気がかりなことが増えてきます。
とはいえ、気にかける家族がいる、気にかけてもらえる家族がいるということは、ありがたいことですよね。
実家の母に会いに行くと、以前はよくいろんな会話ができたのですが、最近では
「もう、よたばあさんよ(よたよたしているおばあさんの意味)」
「もう、100歳だからしょうがない(実際は90歳)」
「見て、こんな血管が浮き出て、骨皮すじ子よ(骨と皮と浮き出た血管しかないという意味)」
このおきまりの三つの会話ばかり繰り返している母。
そんな母ですが、私がたずねる度に、毎回夫のことを気にかけてくれます。
「今日は会社?」
「家にいるんだったら早く帰ってあげないとね。」
「なんか持っていってあげるものはないかしら?」
というふうに。
寝たきりでも、いつも家族のことを気にかけてくれる母には本当に頭が下がります。ありがたいことですね。
けれども、そう言ったかと思うと、おきまりの三つの会話がまた繰り返され、長居してもキャッチボールのような会話は続かなくなりました。
先週末は、夫婦ふたりで健康のために徒歩で実家に行きました。いつも夫のことを気にかけてくれるので夫の顔を見せてあげようかなと。途中、母の好きそうな舟和の芋羊羹を買ってお土産にして。夫を連れて行くと、案の定母はものすごく大喜びし、いつもより一生懸命会話している感じでした。
母の元気な様子に、私もすっかり気分がよくなり、実家の帰りに、まだ行ったことのない近所の鰻屋さんに行き、夫に鰻をご馳走しました。思いがけず大好物にありつけた夫の喜びようは言うまでもなく。
母が喜んで、夫が喜んで、その姿を見て私も嬉しくなりました。
家への帰り道で、途中買い物し手袋をはずしてしまった私の手を夫がさりげなく自分のポケットにいれてギュッと温めてくれました。なんだか私は胸をズキューンと打たれたような気持ちでした。
「ポケギュ」
ちょっと流行らせません?シニア夫婦に(笑)
「ポケギュ」状態で私は夫に言いました。
「今日は母に会いに行ってくれてありがとう。同じことばかり繰り返していて会話にならないけれどね」
すると夫が
「会話なんてどうだっていいんだよ。大事なのは、顔を見せてあげることなんだから。」
ケアホームに入居している義父も、やはり私達が顔を見せるととても喜びます。毎回ほとんど同じような会話をしているだけですけれど、会いに行けばとても嬉しそうな笑顔を見せてくれます。その笑顔を見て、夫も私も幸せな気持ちになります。
しあわせはこんなささやかな行為でも連鎖していくのですよね。
当たり前のようですごいこと
私たちは普通、生まれた時から家族がいます。
古いアルバムを開くと、私には記憶のない家族写真があります。当たり前のようなごく普通の家族の情景が写っているわけですが、よく考えてみると、なんだかすごいことのような気がしませんか?
私がこの両親を選んで生まれたわけではないのに、この両親の子供としてこの世に生まれてきて、気づくと家族になっていたんです。
そういうことは当たり前なので、ありがたみを感じにくいけれども、どの親に生まれてくるかわからない自分の命が、この親のもとに生まれたと考えると、これはすごいことなのではないかと思いますよね。
私は一度離婚して、15年前に再婚をしたのですが、今年のお正月に家族で食事をしている時、ふと、「あら、この家族は私がつくったんだ」と思いました。
生まれた時からいる当たり前の家族のほかに、長い年月を共にしてきた家族(夫婦だったり、親子だったり)というのは、当たり前の家族以上の、ほとんど奇跡に近い家族なんじゃないかしら?と思いました。
手繰り寄せられたんですよね〜、不思議なチカラで。
家族がつくる歴史には、家族だからこそ感じる煩わしさ大変さ、つらいことや、悲しいこと、いろいろあるけれども、家族で一緒に乗り越えていきたいですよね。そうして、また一段と盤石な家族になるんだと思います。
いたらない家族をいつも支えてくれる夫に感謝です!
なかなか家を出られない
若い頃は、サッと身支度して家を出られたはずなのに、最近の私は出かけるまで異常に時間がかかります。
あれはどこにあったかしらとか、そうだあれも入れて持っていかなくてはと、思いついたものをウロウロしてかき集め、直前になって、やっぱり重たいから少し減らそうと、またバッグの中身を出して入れ替えたりしているうちに、肝心なものをうっかりテーブルに置き忘れてしまったりします。
そうなることがわかっているのだから、早く準備していたとしても、やっぱりバタつきます。これは、やはり老化の一種なんでしょうか?
また、出かける時に持って行こうと玄関とかにわかるように置いておいても忘れてしまいます。またよせばいいものを、出がけにスマホの充電が不安になり、わざわざバッグから取り出して充電したりすれば、必ずといっていいほど忘てしまいます。そうそう、さあ行くぞと出たら、お財布にお金が全く入っていないパスモのままメトロに乗って出かけた先で慌てたこともありました。
今年の年賀状ではないですけれど、色々と来ちゃってます、はい。
今日の漫画はそんな日常を描いたものです。
自分だけでなく、皆も同じようなことあるといいなあ〜(笑)
最近、「OK Google」を設定すると便利という話を聞きますが、部屋の中で見失いやすいカギ、メガネ、パスモ、お財布などを、見つけて教えてくれる機能の方がほしいですよね?
そのうち、出かける準備をして、いざドアを出た途端に、どこに行くのだったかを忘れてしまうのでしょうか(笑)やだやだ。。。
家族が家にいる時間が長いと
年末、お正月と、家族が家にいる時間が長いことは、楽しくにぎやかでありがたいことです。が、気づくと、グラスやカップがすごく増えていませんか?
朝のお水から始まり、次々飲み物を変えるたびに、異なるカップやグラスを使うと瞬く間に、ドリンクの数×人数分の洗い物ができてしまうのです。
またちょっと外に出ると子供達は必ずペットボトルを持ち帰ります。それらも加わって、リビングはあちこちにグラスとカップとペットボトルが飲みかけ状態で散乱します。夫は、いいよ、同じので飲むからというのだけれども、朝からずっと同じグラスなんて絶対に不衛生だと思うので、私が取り替えてしまうから、やっぱり増えてしまいます。
そうそう、冷蔵庫の水ピッチャーは気づけばもちろん私が水を補給していますけれども、家族が家にいる時の水の消費スピードが早い!そして、そもそも私は冷たい水を飲まないから、時々空に近い状態でピッチャー容器が冷えてます(笑)そうすると、夫が「誰だ?水を作って冷やしていないのは?」っていうんですけれどね、そんなこといちいち声に出して言わないで、毎回静かに補給してほしいなって思います。「この間も僕がいれたんだよ」と、そういう言い方をされると、じゃあお茶を毎回入れているのは誰?って言いたくなってしまいますよね。
私も言ってみたいですよ、
誰だ?洗濯物を出したのは?とか、
誰だ?食べた食器を運ばないのは?とか、
誰だ?トイレを汚したのは?とか、
誰だ?リビングにいろんなものを放置しているのは?とか、ねえ。
私も還暦過ぎたし、これからはほんの少し楽をしたいです。重たいゴミ出しとか、新聞紙のゴミ出しとか、そっと気づかぬうちにやってくれたら、私がどんなに嬉しいか。夕食の後片付けが一段落してやれやれと座った時、お茶が目の前に出されたら、それだけで舞い上がるほど嬉しいのです。世の夫達は知っているでしょうか?