今日もぽれぽれ

「ポレポレ」とはスワヒリ語でのんびり、ゆっくりという意味です♡

専業主婦になるということは

先日テレビで見て知り驚いたのは、絶対に落ちるであろう希望者の多い人気の認可保育園に申し込み、落ちて喜んでいるママ達が大勢いるということ。

え?どういうこと?とよく見てみると、2017年3月の育児・介護休業法改正で、1歳6ヶ月を過ぎても育休が必要な場合は、2歳まで再延長できるようになったそうで、つまり1歳半でも、もし保育園に入れなければ育休が延長できるということらしいのです。

とくに世田谷区では、そういう不承諾通知目的で人気保育園に申し込みし、落とされたことを理由に、延長手続きを行う保護者が増加しているらしく、深刻な問題となっているようです。

その背景には、専業主婦の母親に育てられた夫は、仕事は頑張っても毎日帰宅が遅く、家のことはほとんど妻まかせ、育児に手がかかる妻が復職して時短勤務と家事と育児を全部ひとりでこなさなくてはならず、ママ達は自信がないというのが本音のようです。無論、可愛い幼子の子育てをゆったりと見届けたいという気持ちもいっぱいあってのことでしょうけれども。

ということだと、あくせく働きながら生活破壊するよりは、寿退社でスパっと専業主婦になりたい女性が増えているらしい。「家事をして子どもを育て、旦那さんが帰ってくるのを待って、仕事で疲れた旦那さんを癒やす。そういう奥さんになりたいと思っています」って、いつの時代の話かと思ったら、今だったんですね。

 

でも、でもですよ、専業主婦だけの人生なんて、この先の「人生100年時代」もったいないです!

 

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一度きりの人生、ハイスペックな家政婦でおしまいでいいの?今は夫の収入だってたかが知れています。これから先、教育費も生活費も膨大にかかり、それらを夫の収入だけをあてにして生きていくなんて無理です。親がいる?いえいえ、親世代もこの先、子供をあてにできないと思っていますから、自分たちの老後のために蓄えを備えておかないといけませんから、あてにしてはダメです。

それは自分たちにツケがまわってきます。

 

人生は、常に、何が起きるかわかりません。

女性も社会に進出し、どんどんハイスペックになっていってほしいと思います。そして、男性は、自分の親の時代とは違うのですから、妻を家政婦代わりに使うのではなく、これからは家事もなんでもできなくてはいけないと思います。

 

今は、個々に幸ありの時代です。

個々に幸が感じられ、その集合としての家族であるべきです。家族だから頼って当然ではなく、支えてあげたいという関係性を築けるような家族でいたいですよね。

自分が親になって親の気持ちがわかる

先日、長く伸ばしていた髪の毛を短くカットしました。

思えば私のこの髪の毛は、娘の結婚が決まり神社でお式を挙げると聞かされた時、きれいにアップして母から譲り受けた黒留袖を着ようと伸ばし始めたのでした。

結婚する当事者より早いスタートで伸ばし始めたので、娘からは「なんでお母さんがそんなに気合入れて伸ばしているのよ」と言われたものでしたが、黒留袖を着られる機会なんてそうあるものではないし、また袖を通して私の母に見せたらきっと喜ぶだろうと思い、その頃はまだ肩にかからないくらいだった髪の毛を伸ばすことにしたのでした。

髪の毛は切るのは一瞬ですけれども、伸ばすのはとても時間がかかります。とはいえ、私はストレートヘアなので、癖がないぶんひとよりも早く伸びる印象を与えていたようで、会うひとに必ず「髪ずいぶんと伸びたねえ〜」と言われ、そのたびに伸ばしている理由を楽しげに語っていた私でした。

 

今の夫との再婚時にはお式を挙げてませんけれど、私も最初の結婚の時は人並みに結婚式も披露宴もやり、当日を迎えるまで、衣装合わせに行ったり、引き出物や招待者を考えたりと、母娘で楽しい時間を持ちました。これは男親にはわからない楽しい時間かもしれません。

最近の結婚は仲人も立てないので、ほとんど本人同士が決めて、親の出番はお祝いをあげるくらいしかありませんでしたが、それでもさすがに衣装合わせの時は、娘に誘ってもらい、あれこれと試着する姿を感慨深げにみつめていました。

娘は私の初めての子供でしたけれども、2年下に弟ができてから聞き分け良く手がかからないことをいいことに、私は娘をあまりかまってあげられませんでした。

また娘が小学校に入ると同時に私が離婚して、母子家庭になってしまったので、私は仕事と子育ての生活に怒涛のように追われていたので、その頃から私と娘は苦楽を共にして生きる戦友のようになりました。

そんな娘が、ああついにお嫁にいくのかと思うと、お式前の衣装合わせでは、胸に込み上げてくる熱いものを感じながら、必死に涙をこらえていました。

そう、そんな日々を過ごしながら、お式まで少しずつ伸ばしていった髪の毛でした。

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離婚して最後の荷物の片付けをした後、娘が言いました。

「お母さんが離婚した時の悲しみや大変さを思えば、私も頑張らないと」と。

大丈夫、お父さんもお母さんもついているんだからと、娘に言いながら、そうだ、私の父が私の離婚の時に言った言葉を思い出しました。

「人生にはつらいことが起こるけれども、そんな時、親が生きているということはありがたいことなんだよ。お父さんもお母さんも死んでしまったあとだったらお前を助けてあげられないんだから。」

親はなんてありがたい存在だったのでしょう。

今度は私たち夫婦が親として娘のためにそういう存在になる番なのだと思いました。

 

 

 

大胸筋なしはイエローカードだ!

ロシアワールドカップ観てますか?

面白いですね!

前回の4年前はほとんど観てなかった気がしますが、今回は夫の観たいテレビ番組(ほとんどニュース)とかぶらないせいか、けっこう観ています。(テレビのチャンネル権が私にはないのです)

日本のチームは前評判こそよくありませんでしたけれど、期待以上の素晴らしいゲーム展開でワクワクさせられましたよね。惜しくもベスト16進出で敗退してしまいましたけれども、あのコロンビアにも2対1で勝ち、あのベルギーにだって先制点を2点も取ったのですから、感動をありがとうって感じでした。とかく、期待が大きすぎるとプレッシャーを感じてしまう日本人は、絶大な期待をしょって試合に臨まない方が、負けてたまるか精神で、有利な展開を得られるような気がします。

ところで、いろんな国の選手を観て、選手達の見た目やプレー内容に、個性やお国柄というのを感じてしまうわけですけれども、なぜか私の目を引きつけたのは、ウルグアイの選手たちでした。

ウルグアイ選手は、あの薄いスカイブルーのユニフォームのせいか、他の国の選手よりも大胸筋がものすごく目立ち、筋肉が布にピタっと貼り付いている感じでしたよね。

あれだけ厳しい当たりを受けるわけですから、たしかに足腰だけではなく、上半身の筋力も相当鍛えておかないといけないとは思うのですが、それにしても、ウルグアイのユニフォームはセクスィー過ぎました(笑)

よーく観ると身体の動きを考えて部位ごとに着圧設計されたやつですよね?身体に負担をかけないようにすごーく薄いせいか、筋肉の動きがバッチリ見えてしまいました。

今日の漫画は、そのウルグアイ選手のユニフォームを思い出して笑ってしまった出来事です。

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この状況、カバーニ選手とか、クリスティアーノ・ロナウド選手だったら全然問題ないというか、むしろ大歓迎なんですけれどもね、まったく大胸筋なんてものはなく、肩甲骨も背中に埋もれているような夫が、身体にピタっと吸い付くポロシャツを着たら、そりゃあ「その乳首!イエローカード!」って言いたくなりますよね?

以前私が勤めていた会社の社長が白いシャツを着て出社した時に、秘書さんが「もう、また乳首が透けて見えるシャツだわ」と眉をひそめていたことを思い出しました(笑)

夫は白シャツではないので、そこまでではないけれども、妻としてあの時の秘書さんと同じような気持ちになってしまいました。

ま、ようするに乳首を鍛えろ、もとい大胸筋を鍛えろってことです(笑)

W杯ネタでひとつ漫画を描いてみたかったわけですが、ちょっとベクトルが違ってましたかしら?どうぞ、お許しを!

 

ところで、夫の乳首がイエローカードなら、息子のけつ裂けパンツは一発レッドカードもんだなって思いました。

お忘れになったひと、またその漫画を知らないひとのために、ここにリンクしておきますね。

まったく平和な我が家で申し訳ないです。

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高齢の母がキラキラと輝いた日

今日は老いについて少し書きたいと思います。

今、普通に暮らしているひとも、いつか年をとり身体の自由がきかなくなったら、生活を誰かに支えてもらわないと生きていけなくなります。普通にできたことがひとつずつできなくなっていくこと、それが老いだと思います。

大きな病気をしなくても、食がだんだんと細くなっていき筋力が衰えてくると、身体を動かすことがおっくうになるため行動範囲がとても狭くなっていきます。

そんな状態で起きて寝てといった単調な生活が続くと、個人差はあると思いますが、やや認知症気味になり、それまで大好きだったことにもだんだんと興味が薄れていき、会話も噛み合わなくなり、やがては世間やひとへの関心が失せていく気がします。

私自身もとっくに還暦を過ぎ、若くはないけれども、間近で老いていく母をみると、最初は正直いたたまれない気持ちになりしました。それは、うるさいくらいに自分や孫の世話を焼いてくれていた母の印象がとても強かったのに、終日ぼーっと過ごし始めたからです。

常に身の回りをきちんと整理整頓していないと気がすまなかった母でしたが、今や実家に行くと、母は毎日布団の上で寝たり起きたりだけの生活なので、私はそんな母を楽しませようと、あの手この手で接していました。

しかし、最近、そういうことだけではなく、母が大好きだったことで、もっと何かキラキラした楽しい思いをさせてあげたいと思いました。

 

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そう、母は氷川きよしが大好きなんです。

部屋の壁にはあちこち氷川きよしの大きなポスターを貼り、朝になるとテレビ番組をチェックして氷川きよしが出る番組を赤くマーキングしていた母。今は、CDも聴かないし、DVDも観ようとしません。

本当にどうしてしまったのでしょう?

母とは氷川きよし明治座公演に3回ほど行っていますが、その時の母は、それはそれはおおはしゃぎで嬉しそうでした。あの時のキラキラした母をもう一度見たいと私は思ったのですが。。。

今年も秋に氷川きよし明治座公演があるので、チラシを持って母に見せに行ったのですけれども、自分の身体に自信がないようです。

 

当たり前のようですけれど、毎日決められた時間にきちんと食事をとり、軽い運動をして筋力を失わないようにすること、すごく大事な気がしました。身体が動ければ、行動力も伴ってくるし、脳に入ってくる刺激もたくさんあります。

年をとっても、大好きなことを続け、キラキラと輝いていたいですね。

 

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「あれ」ばっかです

家族の会話って、思い出してみると、本当によく「あれ」という言葉を使っています。

「ごめん、そこのあれ取って?」

「あれ知らない?あれがないんだけど」

「昨日のあれ、美味しかったね」

「今日さあ、僕、あれだから、ええとご飯いらない」

「あれ頼んだじゃない。え?あれまだやってないの?」

「この間あれ持っていかなかった?」

「だからあれだって、あれよ」

とこんな具合に(笑)

今日の漫画もその「あれ」です!

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私は最近老化のせいか?すぐに名称が出てこなくなってきているため「あれ」を、皆以上にいたるところで乱用しています(笑)

特にテレビに出て来る芸能人の名前は全然出て来ません!

「このひと、前に何に出てたっけ?たしか、えーと、あれ、なんだっけ?あのドラマ!」

「あれ?」

「ほら、あれよ!あれ、あれ!」

「ああ、日曜の9時のドラマ?」

「そう、それ!」

「あれはうまかったよな〜」

「ほんと、あれでけっこうブレイクしたよね〜」

こんな調子の「あれ」とか「それ」とかで、家族の会話はけっこう進みます。認知症の母のことをあれこれと言っていられませんよね。でも、考えようによっては、一緒にいる時間が長いからこそ、家族の「あれ」が通じ合うのかもしれません。「あれ」ばっかの家族は、いい家族している、ということなのでしょうか?

 

認知症の母といっしょに脳トレ

いっとき床に伏していた母は最近すっかり元気になったので、私は油断して実家への顔出しの間隔をあけていました。先日、実家に行くと、母は今がいつなのかわからなくなっていて、はるか昔に起きたことを昨日のことのように話したり、亡くなった父のことを忘れていたり、以前より認知症が進んでいるような気がしました。

兄嫁に聞くと、家の台所をのぞいて「あら、ここはどこかしら?」と言ったかと思うと、夜中に誰もいない部屋に来客が来ると勘違いしてストーブをつけていたりと、おかしな行動が増えて来たそうです。

そもそも、母と同居している実家の兄と義姉はいつも慌ただしく、母のお世話はしていますが、母と心を通わせて会話をするという習慣がありません。私はそんな母とのおしゃべり担当で、私の近況を話して聞かせたりしていたのですが、最近の母は、時間や季節がわからなくなり話すことがちぐはぐで、またほとんど同じことばかりを繰り返していました。そして、何よりも、興味を持つことがなくなり、ひとへの関心も薄れてきました。

そんな母ではありますが、私は何とかうまくコミュニケーションがとれないか色々と考え、昭和の暮らしの絵本や写真を見せたり、母も知っているような小学唱歌をスマホで聴かせいっしょに歌ったりしたのですが、どれも母の興味を引き出せませんでした。

今日はそんな最近の母の様子を漫画にしました。

 

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こんな脳パズルがあったんですね〜。このパズルの問題集は、母の脳を大いに刺激しました。

母は、小学校時代からとにかくお勉強が大好きで、テストは算数も国語もみんな満点でした。

母は実の親ではなく祖父とばあやさんに育てられたのですが、そのばあやさんが母の小学校時代のテストや日記などを風呂敷に入れて戦火の中を逃げてくれたおかげで、なんと80年も前の母の思い出の品が今も実家にはあるんですよ〜(笑)

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母の日記は、9歳の時から達筆な字で綴られてます。

そんな勉強好きの母ですから、簡単な算数の計算ドリルをプリントアウトしてやらせてみたら、これが見事にはまりました。

会話などしなくても私といっしょにお勉強する時間が楽しいようで、文句も言わず何枚もプリントをやってくれます。

国語の漢字の読みなどは私より母の方がよく読めて、私は実にだらしない家庭教師(?)です(笑)

これは、母のお勉強している様子です。

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数字もとてもきれいです。すごい早さで、解いてしまうのには感心してしまいました。

あんなに几帳面で、いつもまわりの世話をやいてばかりいた母ですが、91歳になりまだら認知症で、いろいろと不思議ちゃんになってきましたけれど、私にとっては、やっぱり大好きな母で、母とのこうした脳トレタイムは、とても貴重な時間に思えるようになりました。

 

きりたんぽ事件

一時寝たきりで飲むことも食べることもできなくなっていた母が、最近食欲旺盛になり、めざましく元気になってきました。

食べられるようになると、起きられるようになり、起きられるようになれば、つたい歩きできるようになり、食事は元気の源だったのだなと改めて気付かされます。

しかしながら、認知症が進行してきた母は時々昼夜逆転しているようで、家族が寝静まった夜中に、お腹が空くと台所に入り冷蔵庫の中からパンとジャムを取り出してこっそり部屋で食べているようです。バナナやドーナッツのようなお菓子も台所に置いておくと、朝にはなくなっているそうです。そうした母の奇行に家族は戸惑いつつも、まるで子供みたいなので可笑しくて何だか笑ってしまうのです。

今日の漫画は先日実家に行った時の話。

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台所のものを盗み食いするなんて、以前までの母だったら考えられないことです。今回は調理前のきりたんぽで、硬いけれど食べられなくはない物だったので、まあ良かったのですけれども、ちょっと前はどこでみつけたのか「にんにくカプセル」を黒飴と間違えて食べてしまったことがありました。部屋中がにんにく臭で充満していたので、私が不審に思い母の寝床の周りを探索したところ「にんにくカプセル」の袋がおいてあったので、びっくりして取り上げました。

しかし、こんなに元気に復活したのは、あの日の「にんにくカプセル」のせいなのでしょうか?だとしたら、にんにくパワーはすごいですよね(笑)