これじゃ食堂だよね
毎日夕飯の献立を考えるのは大変。
そして作ったとしても、少しずつ残ってしまったりします。我が家はもともと四人家族だったので、ついその分量でこしらえてしまう私。でもまあ、残っても味がしみて、さらに美味しくなるものもあるので、それはそれでいいのですけれどもね。
昨日の日曜日は、私が外出先から戻り、今日は残り物ですませようと思っていたところ、夫が戻って来てご飯、次に実家ご飯をあてにして娘がやってきて、最後に息子が外出先から戻りと、五月雨式に夕飯の準備をしてました。ま、残り物だから、手間はかけてないのですけれども、次々とご飯の用意をしていたら、あれ?このシーンって、なんかあれに似てない?ほら、新宿が舞台の漫画!
ということで、今日の漫画です。
そうそう、これじゃあ『深夜食堂』みたいだと思いませんか?自分で想像してたらおかしくなって、思わず絵に描いてみたら、このマスターの姿ね、私の古武道の時の道着じゃん!今度、この格好をして夕飯つくってみる?描いていて、自分で笑ってしまいました。
ところで、世間では一度作って食べた夕飯をもう一度出すなんて、当たり前ですよね?それなのに、うちの夫は、「え?これ、この間食べたやつでしょ?大丈夫なの?」って、もうあなたってどこの国の王子よ!(笑)
しかし2度目の料理は、まだそのまんま出しても許されるけれど、さすがに3度目は許されないですよね。そんな時は私がせっせと昼間に片付けるしかなく、おでんとか、大量にできてしまうものは、ほんと、大変です。
深夜食堂の漫画のすごいところは、客の注文に応じて、その都度作っているところです。うちの場合はよく考えてみると、残り物食堂でしたね。
でもね、そうやって、お料理を作ってくれるひとがいるって、本当にありがたいことなんですよ。文句を言ったらバチが当たります。最近はコンビニめしもそこそこ標準化されて美味しいけれども、いろんな添加物が入っています。家で作るものはそういったものを極力使わないようにしているから、安心、安全、そして安価なのです。
私は大人になってから家で誰かに夕飯をこしらえてもらったことはないので、仕事から帰って「わあ、今日は○○なんだあ〜」という経験はありません。もし誰かがおうちご飯をつくって待っていてくれたら最高に幸せな気がします。
胃袋が満たされることは、幸せに直結しますよね。
ごくごく普通のメニューであっても、家庭料理というのは家族に愛情が伝わります。「食」って大事だなって思いますよね。
暗示にかかってる?
世の中には暗示にかかりやすい人とそうでない人といますよね。
「暗示」とは、「他人の心に無意識のうちに、ある観念を与えるような刺激。」だそうです。私は暗示にかかりやすいタイプですが、そういえば、息子も暗示にかかりやすかったなあと、笑ってしまったことがありました。
たいていはネガティブなことでの暗示が多いように思うのですけど、中にはポジティブに暗示にかかる人も。夫は、間違いなくそっちですね。
ということで、本日の漫画はまたもや我が家の男どもについて。
このつむじ押すと便秘になる、なんて息子から聞いて初めて知りました。
息子が「つむじを押される=便秘」に真剣に怯えていたので、娘も私もなんかおかしくて、ついからかいたくなり息子のつむじを押してしまいました。すると、「やめろー」と怒るものだから、それがまたおかしくて、また隙あらば押したくなってしまうのでした。
夫は、学生時代は髪の毛がふさふさしていたので、年齢とともに心もとなくなってきた毛髪に対して、敏感になってきました。といっても、ほんと、つい最近のことですが。ダンディーな夫がヘアマッサージブラシで頭皮をいたわっている姿は真剣そのもの。最初の頃はオヤジもやっていたと言って毎日たたいていたのですが、実は逆効果なんですよね。なんでも頭皮をたたいて血行を良くすると、男性ホルモンのテストステロンの働きが促進され、ホルモンの働きが高まって抜け毛になりやすいとも言われているんです。あーら大変ということで、夫がトントンしているところで、妻は親切なアドバイス。でもね、薬用のヘアケア製品をつけて頭皮を刺激し、最近はわずかながらちゃんと生えてきたようです。私にこれまた真剣に生え際を見せてくれるのですが、こういうのって本人以外にはわかりにくいものですよね。
ま、ようするに暗示にかかってでも、よい結果になればOKということです。
ところで、我が家の男どもは、ものすごーく真面目で冗談を言うと確実にすべります。10言ってひとつ受けるか、受けないか?くらいの確率ですね(笑)血はつながってないというのに、その点について、夫と息子がよく似ているのがとっても不思議。
でも、こうやって漫画を描き始めて思ったのですけれども、ふたりとも冗談はすべっても、言動は面白い!それも真剣であればあるほど、なんか愛らしいのです。
これは、人徳でしょうね。
私や娘はどちらかというと小憎らしいタイプなので、夫や息子のようにクスっと笑ってしまうような言動はとりません。多分。。。。(そう思っているだけ?)
ところで、こういうどうでもいい日常の話題は日記にも留めていませんが、こうやって漫画に描いてみると実に愉快ですね。今日もおつきあいいただきましてありがとうございました。
使えないやつら
主婦にとって毎日の買物はとても面倒です。食品だけでなく、生活雑貨の細々としたものまで、買物リストは常に頭の中にあったりするものです。
この店で買いたいというこだわりの品、とにかく安ければ助かるという品、店独自のポイントを貯めている品、欠品に気づき急いで買いたいという品、重たいからアマゾンで買ってもいいかという品、etc.色々と頭の中で買物のリストは常に更新されてます。
とはいえ、私は買物に行く時、いちいち紙にリストをメモっていくことはしません。老化していく脳と戦うため記憶力を鍛えようと、メモに頼らないのです。嘘です。本当は、メモをしても、そのメモ自体をテーブルに置いて出てしまうことが多いからです(笑)
そうはいっても、毎日の買物で、主婦は予定していたものだけを買うのではなく、値段が安いものをみつけたりすれば衝動的に買いに走るわけで、そうすると、瞬く間に手荷物は増えてしまい、気づくと本来買うはずのものを買い忘れて帰って来た、なんていうことは日常茶飯事ですよね。
そんな時、頼れるのは家族!
ちょうど外に出ようとする、または出ている家族に「○○買ってきてー」と頼むと、「はいよー」って求めているものを正確に買って来てくれたら、本当に助かります。
そういう家族がいたらの場合ですけどね。
これは我が家の新年早々におきた出来事。
この手のことは非常に多くあります。
夫に関しては、生活の細々としたものがどこでどういう状態で売られているかを知らないんですね。なんせ白馬に乗った素敵な王子様だったので(笑)息子の場合は、このように間違えるか、私がいうお店に頼んだものがなくて、外から「ないよ」っていう電話がかかり結局買物の目的を果たせないということがよくあります。
自分で買いにいけないから家族に買物を頼むわけですが、こういうことが何度も繰り返されると、やっぱり諦めて頼まなくなってしまいますよね。
先日、娘の住んでいるマンションを訪れた時、水など必需品の買物は便利なアレクサがアマゾンに発注してくれ、ご飯をつくれない時はUber(ウーバー)でお弁当を頼んでいると話してました。うーん、それは間違いないかも〜(笑)
しかし、我が家では、私がアレクサで、私がウーバーなんだな。まったく。。。
フランス式家族?
新年が始まりました!
さて、お正月はどこのご家庭も、久しぶりに家族が集まりお節などのご馳走を囲んで楽しくお過ごしになられているかと思います。
夫の父親もうちの母も認知症は着実に進んでいますけれども、ちぐはぐな会話だろうと、家族を忘れないでいてくれるだけありがたいです。現実を悲観的にとらえないで、常にポジティブに受け取っていくことを学ばせてもらっている気がします。やはり、親がいるということ、それだけで本当にありがたい気がしてなりません。
さて、今日の漫画はお正月に私の実家で家族が集まった時の模様です。私の兄の話は、いつもそれまで話していた会話の流れから、突然ものすごい思考回路でぶっとびます。話の脈略から大きく角度を変えてとぶので、時々理解に苦しむ私たちです(笑)
兄がたまたま「新しい親」という言い方もしたのですが、それもちょっとびっくりですよね?そして、うちは私が子供を連れての再婚夫婦だから、まさに兄の話したフランス式家族?
昔はフランスといえば、なんでもおしゃれで流行の先端的な響きがしましたけれど、まさかフランス式家族になろうとは(笑)パリにすら行ったことないのに!
こんなくだらないことを書いておりますが、今年も「今日もぽれぽれ」をよろしくお願いします。そして、みなさまにとって、ぶっとぶくらい素敵な年となりますように!
結局適当なやつ
ワコムのWacom Intuos Pro Paper Editionを子供達からのお誕生日プレゼントとして買ってもらいました。
この商品は紙に描いた絵をそのままデジタルにというのが売りでしたが、どうもやり方がよくわからず、結局、パソコン画面を見ながら、ペンタブで描くことに。
これまでは、鉛筆で下書き→ミリペンで線画→スキャナーで読み込み→フォトショップで色ぬり→イラストレーターでテキスト(吹き出し文字)→jpegに書き出しという工程でした。
それを、すべて一から、つまり下書きの段階からパソコンのみで作業するということに新たに挑戦。最初からそういうやり方でやってきたひとにとってはなんてことないことなんでしょうね。でも、ペンタブで紙に描いていたように描くのはとっても大変でした。
思えば、古武道を始めた時期も、4コマ漫画を始めた時期も、ちょうど11月の終わりでした。お誕生日月の前に挑戦したことは、飽きっぽい私でもなぜか続いているので、今回もこのタイミングでチャレンジ!
今回の漫画は、実験的に描いてみましたので、2コマ目とその他のコマとは描き方が違います。2コマだけベクタ画像なので線がクリアです。どっちの方が手描きっぽい感じが伝わるのだろうか、とりあえず、両方で描いてみました。
漫画の内容は、サプリ大好きの夫の不思議な行動です(笑)
夫はB型ですからねえ。
やっぱり、しょせん、適当でいいかげんですよねえ〜。ま、かくいう私もB型なので、ひとのことは言えませんけどね。でも、漫画もとりあえずは続いているので、いいかな〜と、思ってます。
何もしてなくても最高に素敵なんだ!
『プーさんと大人になった僕』の映画をみたとき、私はものすごい衝撃を受けました。そして、うまく言葉にできない悲しみに襲われ、涙が止まりませんでした。
プーさんの語る言葉は、とても当たり前で、私の心にドカンと突き刺さりました。私がハンカチを出して涙をぬぐっていたら、私の右のひとも左のひとも泣いてました。
今日は、なぜ私が泣いてしまったのかという漫画です。
毎日何もしていない母をみて、すごく退屈なんじゃないかとか、無気力すぎるんじゃないかとか、母の興味をしめすことを引き出してあげるべきなんじゃないだろうかとか、健常者目線でいた私。それで、母に計算ドリルやいろんなペーパーテストをやらせてみたり、あやとりをしてみたり、昔の童謡を聴かせながら一緒に歌ったり、お手玉をしたりと、母の起きている時間を楽しく有効なものにしてあげようと必死でした。そうすることで、認知症の進行も遅らせることができるだろうし、そして何よりも、そういう時間を持つことで、母といいコミュニケーションがとれると思っていました。
でも、『プーさんと大人になった僕』の映画をみた時、私は自分が母にしてきたことの愚かさに初めて気づきました。私は何をやっていたんだろう。本当に母のことをわかっていたんだろうか。実家で兄夫婦が母の世話をしてくれているので、私は母と会っている時間、母を喜ばすことをいっぱいしようと思って、あれこれ考え、そんなに乗り気でない母を無理やり巻き込んでいました。
なんだか、母にとても申し訳なかったと思いました。
そんなことをしなくたって、私が会いに行けば、それだけで「あんたがそばに住んでいてくれて、本当に助かるよ。あんたがそばに住んでいてくれてありがたい」と何度も何度も繰り返して言い、心から喜ぶのですから。帰り際には、私が母におしえたハグを母の方からも両腕をひろげてしてくれるようになったし、そう、母は、私が会いに来てくれることが、今、何よりも嬉しいのだから、それ以上のことを望んでいたりはしないのだと、どうして気づいてあげられなかったのでしょう。
大事なことは、ものすごく単純なことなんですよね。
大好きなひとが、そばにいてくれること、これに尽きるのだと思いました。
『プーさんと大人になった僕』をみなければ、気づくことができなかった自分が情けなくて恥ずかしいです。
私の母も、夫の父親も、たしかに認知症はジワジワと進行してきていますが、どんな状態になろうと、子供の私たちにとっては、世界で一番素敵な父であり母なんだと思いました。この気持ちを忘れずに大切にしないといけないなとプーさんに学びました。
ハグしてキスしてさようなら
先日、実家にとってとても大切な方が享年99歳で天寿を全うされました。戦後はいっとき、一つ屋根の下で共に生活をしており、つまり、母が嫁ぐ前からのおつきあいなので実家にとっては親戚以上の関係でした。
兄が訃報を知らせた時、母は突然シャキンとして、「私がおわかれに行かなくちゃ」と言ったそうです。
この年のはじめ、女学校時代の親友が亡くなった時は「とても行けないわ」と言っていた母でしたが、今回は全く違って、それこそ自分の身体の今の状態を忘れていたかのようでした。
当然、私もおわかれに駆けつけたかったので、急遽、納棺前に母を連れて兄の運転で出かけることになりました。
母が家の外に出たのは、何ヶ月ぶりだったのでしょう?1年ぶり?もっと?
認知症が進行していた最近の母は、悲しい話をしても楽しい話をしても、あまり感情を表すことなく、他人事のように「そうなの」と相槌を打つ程度でした。そんな母が、この日だけは別人のようにシャキンとなったので、私たち家族はびっくりしました。
クルマからおりて母をマンションのエレベータに乗せた時、兄が私に、何しにここに来たのか、試しに聞いてみなよと言ったので
「お母さん、今から何しに行くんだっけ?」
と聞いてみると
「何いってるのよ。ヱナヨさんにおわかれに来たんじゃない」とこたえたので、兄とふたりして、今日のお母さんはちゃんとしてると思わず笑ってしまいました。
そして、部屋に入ると、母は真っ先にヱナヨさんに駆け寄り、まず腕をまわしてやさしくハグしたかと思うと、手のひらでヱナヨさんの顔をやさしくなでながら、悲しい顔でおわかれしてました。そして、最後にヱナヨさんのほっぺにキスをしたので、私はとても驚きました。
母がそこまで感情を表に出して、しかも大胆にキスまでするなんてことは、これまでただのいっぺんもなく、そう、父とのおわかれの時ですら冷静でクールだったのに、その日の母の様子はまるで幼女のようでした。
そういえば、最近、認知症が進んできた母は、会話のキャッチボールはあまりできなくなってきたけれど、お顔があどけなくて、甘いものを口に頬張る時はちっちゃい子のようで、その可愛さに思わず見とれてしまう私でした。
年をとるとだんだんと赤ちゃんのように可愛くなってくるんですよね。
この日、母は、今は亡き父の代わりに、大切なヱナヨさんの最期におわかれをしてくれました。葬儀には参列できませんでしたが、真っ先に駆けつけた母のことをヱナヨさんもきっと喜んでくれているのではないかと思いました。