そして家族に その40
東日本大震災の日 家族は②
2011年の3月11日(金)のあの日に再び時間を戻すと、私達家族は全員無事に帰宅することが出来ましたけれども、夫の父親が会社を出てから行方不明になっていました。当時、まだ自分の会社経営者として勤務していた義父は、86歳でした。
義父は携帯を持っていないのと、足もだいぶ弱っていたので、転んで怪我をしてどこかの病院に担ぎ込まれたのではないかとか、警察や病院に問い合わせをしたり、皆でとても心配をしていました。
私はこの非常事態にまず食料準備をしないとと思い、余震に怯えながらも停電になる事態が起きないともいえないので、真っ先にお米をといでご飯を炊き、その後、ホームベーカリーでパンをせっせと焼き始めました。温かいみそ汁も多めに作りました。
こういう時は、空腹でいると、余計な不安からストレスが増長されると思い、まず胃袋を満たす行動を取りました。いつも誰かさんの小腹が空くことを気にしているせいか、実に冷静に対処出来たのではないかと、自分でも感心しています。
けれども、被災地各地のニュースに私達は、どれだけ心を痛めたかわかりません。
きっと、皆さんもあの日のことは、決して忘れられないかと思います。
東日本大震災の日 家族は①