忘れないでいてね
自分自身が年をとるということは、案外自覚のないものですよね。
私は自分が還暦を迎えたとき、そんな年だなんて信じられませんでした。けれども、今では子供は30歳になっているし、周囲の知り合いの子供達も、ついこの間生まれてオムツしていたと思っていたのに、しばらくぶりで会うと、中学生や高校生になっているんですから、たしかにそれだけ年をとっているのです。
気づいたらこんなに年をとっていた・・・
年をとればとるほど、自分の生きてきた年月の長さに鈍感になってしまうのが人間なのでしょうか?
私と同世代のミュージシャンのライブに行くと、MCでは「こんな年齢になっちゃいました・・・」的な心情を吐露しつつ、最近では死生観を語ったりします(笑)
年をとるということは、だんだんと抗えないものに身をゆだねることが上手になります。それは、海で波にさらわれ下に引きずり降ろされたとき、パニックになってもがくより、力を抜くと自然と浮かんでくるのと同じなのではないかと思います。
先日、母のところに行くと、枕元に置いてあったはずの父の遺影の写真フレームがなくなっていました。探し出して母に写真を見せたら、母は父の顔をすっかり忘れていました。母は今91歳で、父がなくなったのは20年以上も前なのだから仕方ないといえば仕方がないのかもしれませんが、最後には「で、あんたは誰の子なの?」と母が言ったのには、ちょっと驚かされました(笑)
また、ケアホームに義父を訪ねたとき、おどけて「私は誰でしょう」とやってみたのですが、案の定というか、やっぱりというか、義父は私を忘れていました。あわてた夫が一生懸命私を説明するのですが、「ほら、古武道やっていて、刀でエーイってやるひとですよ」って、それ全然説明になってませんから(笑)
ところで、母だけでなく義父も義母をすっかり忘れてしまっています。
火葬場で「また生まれかわったら、一緒になろうな」と涙を浮かべながら固く目を閉じた義母に語りかけていましたが、今では義母の写真を見ても誰だかわからなくなってしまいました。
それどころか、夫が壁に飾ってある家族写真を指差しながら、写っている家族を説明すればするほど、義父は頭が混乱してしまい「もう何がなんだかわからないよ」と苦しそうに顔を歪めるのでした。
いずれ、私の母も私や兄や兄嫁のことがわからなくなってしまうのでしょう。認知症が進行すると、自分の身の回りのひとが誰だかわからなくなってしまうわけだから、最後は家族がそばにいたとしても、みんな見知らぬ他人の中で暮らしている感覚になってしまうのでしょうか。せつないですね。
でも、それはこちら側の身内が思うことかな。
認知症になっているご本人は、あれこれと悩むこともなく、会うたびに子供のように可愛くなっていきます。
親に忘れられてもかまうもんか。私が覚えているんだから、私が忘れないでいるから大丈夫!
そして、
「忘れないでいてね」と私は夫に
「大丈夫忘れないよ」と夫は私に。
この会話、若い恋人どうしで「忘れないでいてね」とささやくようなそんな甘ったるいものではなく、老夫婦の場合は、もっと意味が深い。とてつもなく深い。。。(笑)
ついこの間まで、今よりもまだしっかりしていたときの義父や母を描いた漫画をリンクしておきますね