今日もぽれぽれ

「ポレポレ」とはスワヒリ語でのんびり、ゆっくりという意味です♡

何もしてなくても最高に素敵なんだ!

『プーさんと大人になった僕』の映画をみたとき、私はものすごい衝撃を受けました。そして、うまく言葉にできない悲しみに襲われ、涙が止まりませんでした。

プーさんの語る言葉は、とても当たり前で、私の心にドカンと突き刺さりました。私がハンカチを出して涙をぬぐっていたら、私の右のひとも左のひとも泣いてました。

今日は、なぜ私が泣いてしまったのかという漫画です。

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毎日何もしていない母をみて、すごく退屈なんじゃないかとか、無気力すぎるんじゃないかとか、母の興味をしめすことを引き出してあげるべきなんじゃないだろうかとか、健常者目線でいた私。それで、母に計算ドリルやいろんなペーパーテストをやらせてみたり、あやとりをしてみたり、昔の童謡を聴かせながら一緒に歌ったり、お手玉をしたりと、母の起きている時間を楽しく有効なものにしてあげようと必死でした。そうすることで、認知症の進行も遅らせることができるだろうし、そして何よりも、そういう時間を持つことで、母といいコミュニケーションがとれると思っていました。

でも、『プーさんと大人になった僕』の映画をみた時、私は自分が母にしてきたことの愚かさに初めて気づきました。私は何をやっていたんだろう。本当に母のことをわかっていたんだろうか。実家で兄夫婦が母の世話をしてくれているので、私は母と会っている時間、母を喜ばすことをいっぱいしようと思って、あれこれ考え、そんなに乗り気でない母を無理やり巻き込んでいました。

なんだか、母にとても申し訳なかったと思いました。

そんなことをしなくたって、私が会いに行けば、それだけで「あんたがそばに住んでいてくれて、本当に助かるよ。あんたがそばに住んでいてくれてありがたい」と何度も何度も繰り返して言い、心から喜ぶのですから。帰り際には、私が母におしえたハグを母の方からも両腕をひろげてしてくれるようになったし、そう、母は、私が会いに来てくれることが、今、何よりも嬉しいのだから、それ以上のことを望んでいたりはしないのだと、どうして気づいてあげられなかったのでしょう。

大事なことは、ものすごく単純なことなんですよね。

大好きなひとが、そばにいてくれること、これに尽きるのだと思いました。

『プーさんと大人になった僕』をみなければ、気づくことができなかった自分が情けなくて恥ずかしいです。

私の母も、夫の父親も、たしかに認知症はジワジワと進行してきていますが、どんな状態になろうと、子供の私たちにとっては、世界で一番素敵な父であり母なんだと思いました。この気持ちを忘れずに大切にしないといけないなとプーさんに学びました。