今日もぽれぽれ

「ポレポレ」とはスワヒリ語でのんびり、ゆっくりという意味です♡

脳梗塞で母が倒れました その三

母は脳梗塞で全介護になり、審査の結果、要介護1から5と判定されても、介護度の見直し申請後すぐに認定はおりません。

しかし、入院した病院は、急性期病院でしたので母の容態が良くなれば退院は差し迫って来ます。とういうことで、認定がおりる前から、私たち家族はケアマネさんからのアドバイスを参考に、退院後どういう形で母を在宅介護をしていくか、具体的に考えなくてはなりませんでした。

そして、訪問介護は受けず、私が週5日(月〜金の5日間)兄夫婦が(土日の2日間)という役割分担を決めて実家で介護し、それ以外に訪問看護を週2回、訪問入浴サービスを週2回、訪問医師を隔週1回を受けようという方針を立てました。その他在宅ケアに必要なレンタル用品や消耗品などを入れて、介護保険制度の支給限度額月額約36万円の範囲内ですむように、ケアマネさんにお願いしました。その限度額を超えるサービスを受けると全額自己負担になってしまうのですね。介護保険を利用したとしても医療費は自己負担があり、在宅ケアもそれなりに費用はかかります。

正直、病院に入院中の時の母の容体は、医師からの指摘のとおり、とても回復は望めないという状態でしたので、兄と決めた介護方針で、本当に満足なケアができるのだろうかとても不安でした。

ところが、退院の前日、病院内でカンファレンスが行われ、母の在宅ケアにかかわる担当者が一同に揃って自己紹介をし、そして現時点での母の状態を医師から、また今後こうした方がいいという看護師からの提案があり、それを訪問医師と訪問看護サービスの主任と担当者、そしてケアマネ、レンタル会社の営業マン、そして私たち家族で情報の共有化をしたのでした。

私の不安を感じた退院支援の看護師が「今、ここに集まった人全員、お母様の介護をサポートするチームなんです。不安なことあったら、なんでも聞いてくださいね」とおっしゃってくださいました。自信たっぷりのにこやかな笑顔を浮かべて。ああ、きっとこういうこと、何百回と繰り返しているんだろうなと思いました。

 

家で介護の経験したことのない家族は、病人にとって病院こそが一番安心できる場所と思ってしまいますよね。

ところが、実際、自宅に戻った母は・・・

 

f:id:poremoto:20190808222344j:plain

母の部屋は、病院よりもずっと快適な介護用パラマウントベッドが入りました。ベッドの周りは、四方に母の大好きな氷川きよしのポスターが飾られ、そして枕元に置いたiPadからは母の大好きな氷川きよしの曲がエンドレスで流れ、食事は栄養にこだわらず、甘いものが大好きな母のために高カロリープリンなどのゼリー食品で食欲が出るようにしました。

そして、在宅ケアで感心させられたのは、訪問看護師さんのプロフェッショナルな仕事です。優しい言葉かけから始まり、母の状態で私が気づき不安を感じたことにテキパキと対応してくれます。毎日介護していると、様々な不安な出来事が起きて来ます。ほとんど昼間ひとりで介護している私にとって、週2回の訪問看護師さんは、まるで救世主のような存在です。この方たちは、母の介護をしながら、介護する家族の心のケアもしてくれているのだなと感じました。

吸引も陰部洗浄もオムツの交換も、病院で出来たと思って実際に家でやってみると病院とは色々違いまごつきます。ベッドで全く動けない母の身体の向きを変えたり、ベッドヘッドに移動させたりと、最初は母が重たくて泣きたくなりました。そんな時、楽なやり方を親切に教えていただき、どんなにか救われたことでしょう。しかも、病院の看護師さんは常に大勢の患者さんを相手にしていますから、母のそばにいる時間はせいぜい5分程度ですが、訪問看護師さんは長ければ1時間もいて、しっかり母の状態を観察し、ケアしていってくださいます。本当にありがたい存在ですね。

退院時からずっと見守ってくださっているので、母の様子がめきめきと元気になっていくのを感じた看護師さんが、そのことを医師に伝えて、リハビリの日を1日追加で入れてくれることになりました。

我が家にやって来た理学療法師さんは、菅田将暉似のさわやかな青年。感情表現が出来ない母でしたが、その若いスタッフさんを食い入るように見つめ続けるので、私も思わず笑ってしまいました。そして、彼はある程度母の身体を動かして準備したあと、寝たきりの母をあっという間にベッドに座らせたので、この人もさすがプロだと感じました。身体をほんの数分起こしただけで、その日の母の便通はすこぶる調子よく、やはり人間は二足歩行の動物なんだなと思いました。

母が退院したのが5月21日で、しばらく経った6月17日、いつものように私が母の部屋に入っていくと、母が私の半袖を指さして「あんた、そんな格好で寒くないの?私は寒いから布団かけて」としゃべったのです!「エエーーーー!!!」ですよね。

あーうーも言えない母が、いきなりそんな長い文章をしゃべったのには、もう私の方が気絶するくらい驚かされました。でも、それっきり全く話さないんです。あれはいったいなんだったのでしょう??

多分、毎日介護している私を母は喜ばせてくれたのでしょうね。

母と一緒にいる時間、グーパーで手を動かす運動をやっているうちに、バイバイもジャンケンも、また「口は?」とか「頬は?」と聞くと、動く方の人差し指でゆっくりと顔のその部分を触れるようにもなりました。

私は次第に介護がとても楽しくなっていき、百均で買ったボールでキャッチボールの真似事をし、母の手の中にボールをパコンと入れると、すごい速さでボールをつかめるようにもなりました。また同じく百均で買った幼児用のお絵かきボードで、算数の足し算掛け算の答えを2択で書いて正解を母に指差してもらったり・・・

看護師さんも、これなら秋には車椅子で外にお散歩に連れ出せるかもしれませんねと母の回復ぶりに驚いてくれました。

そして、7月5日、理学療法士さんが百均のお絵かきボードを使い、「数字の2を書いてください」と言ったら、なんとペンをしっかりと持って迷うことなく「2」と書くじゃないですか!

わあ、これは奇跡だ!すごい!すごい!と彼と一緒に大騒ぎ!母の表情はあいかわらず無表情でしたけれど、少しドヤ顔に見えました。

そんな素晴らしい奇跡のような感動を私に与えた翌々日の7月7日、その日は日曜なので私は実家には行かず自分の家にいたのですが、兄から電話がかかり「今、犬の散歩から戻ったら、お母さんが息してないんだよ」と。

七夕の日、母はひとりでこっそりとお星様になってしまいました。