今日もぽれぽれ

「ポレポレ」とはスワヒリ語でのんびり、ゆっくりという意味です♡

母と娘の思い出1

今日の漫画は、特別バージョンです。

娘との思い出を漫画にしてみました。今日はその1です。

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娘を一言でいうと、まったく手のかからない子でした。

叱った時でも、怪我した時でも、泣き始めたなという時に、「泣かない」と私が言うと、ぐっと涙をこらえ「泣かない」と言いながら泣き止みました。涙いっぱいためて「な、なかにゃい!」って言う娘が愛しくて、ぎゅうっと抱きしめたものでした。

 

娘の通った道灌山幼稚園は、ものを大切にする教育が徹底していました。それは子供が遊ぶ折紙でも徹底していました。上手に折ることのできない子供達に折紙を好きに与えたら、紙がいくらあっても足りません。そこで、園長先生がお母さんがたに、子供の使う折紙を広告のチラシで作ってくるように言ったのです。子供はどんな柄だってかまわない、ようは折り方を覚えるのですからと園長先生は言いました。けれども新聞広告は意外とペラペラな紙ばかりだったので、ちょうど不要になったセシールの通販カタログを丸一冊、定規をあててカッターで一気にカットし、大中小の正方形の大きさに切った折紙を幼稚園に持たせました。デザイナーだった私の得意とするところでしたが、折る前にじっくり見るとかなり大胆な柄というか、写真でした(笑)

 

母子家庭時代の私はパソコンを買って、子供達にもパソコンの使い方を教えて一緒に遊びました。当時、ネット上の掲示板で交流するのが流行っていて、私は掲示板仲間とオフ会で知り合ってから、自分よりずっとずっと若い人達と仲良しになり、やがて家にも遊びに来るようになりました。ちょうど、ドラえもんに登場するキャラクターが牌になって遊べる「ドンジャラ」という子供麻雀ゲームを買ってあげたばかりだったので、若いお兄さんやお姉さんが家に遊びに来ると、子供達は大喜びでドンジャラで遊んでもらっていました。牌の中には、のび太君のママがいるのですが、それは何故だか皆に不人気で、ママの牌が来るとすぐさま捨てちゃうのでした。

私は、若い子達が何人来るのかわからない時はおでんをこしらえたのですが、娘はおでんがあまり好きではなかったので、「おでんは嫌い」と言ったら、そこに来ていたお兄さんにお母さんの作ってくれる料理にそういうことを言ってはいけないとたしなめられていました。皆、九州とか遠い親元から離れて東京の学校に通っている若者達だったので、母親の存在を痛いほど感じていたのでしょう。

 

中学に入ると娘のためにちょっと遠いのですが、水道橋にある館山塾という進学塾に入れました。ちょうど郵便ポストにDMが入っていたので、その塾に娘と見学に行ってみると、素晴らしい教師陣が揃っていたので、すぐさま入塾を決めて手続きをしました。その塾は、勉強の習慣を身につけさせるという塾で、実に細やかに生きた教育をしてくれる塾でした。例えば、新聞の社説を切り抜かせて、事実と著者の意見や考えの部分を区別し、わからない言葉の意味を辞書で引かせて、どういう内容が書かれているのかを理解させる勉強とか、竹取物語を丸暗記させ、単語の品詞を理解させたりとか。

私が最も不得意とする国語を娘が大好きになったのは、まさにこの塾のおかげです。そうそう、当時の娘の愛読書は「国語便覧」でした。そんな娘だから、クラスの女子とうまくやっていくのは難しかったようです。常にジャニーズのタレントか男子の話をしている女子達とはだんだんと気が合わなくなり、やがては、仲良しグループと一緒にいても、まるでいないがごとくに無視されるようになりました。ある日、私にそのことを告白したのでした。心打ち解ける友達がクラスの中にいないこと、また、クラスの中にいて、ひとり孤独を感じてしまうこと、娘の気持ちが痛いほどよくわかりました。そんな時こそ、無限にひろがる本の世界に自分の可能性を見出してもらいたいと思い、娘に好きでもない友達と群れていないで、積極的に自分ひとりになることを勧めたのでした。