今日もぽれぽれ

「ポレポレ」とはスワヒリ語でのんびり、ゆっくりという意味です♡

還暦キラキラ記念写真

昨日は、私の誕生日でした。

そして、50代よサヨナラ、60代よいらっしゃーいの還暦になってしまいました。

それなのに、夫は朝から私の誕生日なんてすっかり忘れて、スマホをいじってるし、息子なんて朝の「おはよう」すらなく、起きて私の前をスルーしていきました。

なんなの、男ども!

私は前日に、還暦イブと称して、夫と息子にこれまでの感謝の気持ちを込めて、5時間もかけてディナー(日山の牛スネ肉の赤ワインとトマト煮込み、ドライトマトポルチーニ入りピラフ、マッシュドパンプキン、ハート型人参グラッセ、あやめカブメインの彩り野菜サラダ)を作り、胃袋に刻印したと思ったのに。↓

 

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さすがに「ちょっとちょっと、今日、誕生日なんですけど」と夫に言うと、ハッとして、「そうだ!おめでとうございまーす」と身を折るようにして言ってくれました(笑)

そんな男どもが仕事に出かけて間もなく、ゾゾタウンから大きな箱が届きました。開けてみると、なんと、娘からのプレゼント!ツモリチサトの猫ワッペンがついた可愛いマフラーでした。そこには真っ赤な封筒に入ったバースデーカードが添えられていました。やっぱり女の子を生んでおいて良かったです!きゅんきゅんするメッセージが書かれてました。

 

夕方になると、夫から電話があって、バースデーの夕食をご馳走してくれることになりました。待ち合わせ場所の丸ビルに行くと、街はクリスマス一色。どこもかしこもキラキラしていて、それはきれい!夫とキラキラデートになりました(笑)

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今日は、夫がキラキラをバックに写真を撮ってくれるというのでお願いしたときのことを漫画に。

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還暦のキラキラ記念写真になったはず。

二刀流

古武道の稽古も、なんと、この11月で丸5年になります。

ところが、私はほとんど進歩していません。後から入ってくる若い人達にどんどんと追い越されていきます。まあ、追い越されていくことは何とも思っていないのですけれど、稽古をしても、なかなか理解できずに不完全燃焼で終わることがつらいのです。

その上、最近はすっかりと筋力が落ちてきて、簡単な動きでも、ふうふう言う始末。情けないです。

 

この間は、柔術だけれども、二刀を意識した稽古をやりました。左手が小太刀、右手が木刀と意識してやらないといけないのですけれど、先生のお手本の動きを見ていると簡単なことが、自分でやってみるとものすごく難しいのです。

さばく位置と方向、手のあげ方、相手との間合いと軸への連動の仕方、前膝にのりながら相手の袈裟に入る方向と重さのかけ方、どれもこれも、見たことを頭で考え自分の身に置き換えて実践するのは容易ではなく、学習能力のなさに悲しくなります。

とはいえ、飽きっぽい自分が5年も続けているということは、ある意味すごいことなんですけどね。これだけは自分をほめてあげたいです。

来月はいよいよ還暦に突入してしまう私ですけれども、趣味は?と聞かれた時に、胸をはって古武道と言えるくらいは進歩したいですよね。

もう少し真剣にやらないと、と思い基礎体力もつけようとフィットネスジムにも通い始めたのですけれど、そこで思わぬ光景に出くわしました。

今日の漫画は、ジムにいた、私よりずっと高齢の女性の勇ましい姿です(笑)

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実際に小太刀と木刀でやると、どんなイメージかというと

柔剣雷心会第十回演武会を『秘伝』が撮影した画像

 

老いにも個性がある

子供が生まれると、母子手帳に記載された発育曲線を判断基準に自分の子供の成長を見守るということを、一般的なら親なら誰しもやっていると思います。

そして人生の終末になってくると、今度は、要介護度の基準で年老いた親の状態を確認するようになってきます。

けれども、子供の成長時もそうですが、人間にはこういった一般的データや数値等の基準だけでは測ることの出来ないものがあったりしますよね。それを個性と呼んだらいいのでしょうか。

母の老いは、腰痛から一気に進行し、毎朝規則正しく起きて着替え食事するという生活は出来なくなってしまいました。けれども、日常生活でそれまで母がやっていたことは、いまだに気になって仕方がないようで、色々と口出ししてきます。


一方義父は、ケアホームで規則正しく日常生活を送っていますけれど、時間・場所・ひとがだんだんと認識出来なくなっています。それでも、会って話をすれば、全く普通だし、ユーモアのセンスもあり、義父の楽しい人格はそう変わってはいません。

たぶん老いも子供の成長と同じで個性があり、それは生き方と言えるのかもしれません。そういった個々の生き方を尊重しつつ介護するというのは、とても難しいことですね。

 

義父のケアホームに訪問すると、テレビの音だけが響くリビングで、入居者の方達が互いに関わるこことなく、部屋のあちこちに座っています。
私達が入っていくと、それまでテレビをボーッと見たり、新聞を読んでいた義父の顔はパッと明るくなりとても嬉しそうな表情に変わります。

最近の私は、義父と一緒に何か面白いことをしようと考え、ゲームを買いまして、それを持って訪問しています。

ゲームは、懐かしの「黒ひげ危機一発」と「ドンケツゲーム」です。

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ケアホームに行き、義父の部屋で夫と私と三人でゲームをするんですが、おかしくて大の大人が子供のゲームで大盛り上がりしてしまいます。

黒ひげ危機一発」では、お父さんに青いナイフを持たせると、樽に向かって真剣な表情でエイって突き刺しました。軽く刺すだけでよいのに、お父さんはグサっと勢いをつけて刺し、その後もしっかり刺せたかガシガシやっています。だから、刺すことに夢中で直後に黒ひげ人形がとんで行っても気づかないのでした。動体視力のせいかしら。そして、お父さんは運がいいのか?悪いのか?続け様に二度も最初の一発目で黒ひげ人形をとばしたのでした。24分の一の確率ですよ。ある意味すごいですよね。

「お父さん、ナイフを刺すと、樽の上から黒ひげ人形がポーンって飛び出すので、この樽の上をよく見ていてくださいね」と私が言うと、やっとゲームの趣旨がわかったようで、その後、夫や私が黒ひげ人形をとばすと「おおーー!」と喜んでくれました。

また、「ドンケツゲーム」での義父は、対戦相手のお尻の動き出しをよーく見てレバーを操作する素晴らしい動きで、無敵でした。

ケアホームを出る時に、スタッフの方が、「お優しいですね」と私達の訪問を喜んでくれました。そういえば、私達が面会している時に他の訪問者に遭遇したことはありません。それぞれご家庭の事情もあるでしょうけれど、ケアホームに頻繁に訪問する家族は案外と少ないのかもしれません。

 

さて、お父さんとはゲームで盛り上がりましたが、実家の母には何をしてあげたら喜んでくれるのだろうと、考えてしまいます。同居している兄嫁が日常は一生懸命お世話をしてくれているので、私が母のために出来ることは、今のところ、お風呂の手伝いと話し相手くらいしか思いつきませんが、話し相手というのも大事なケアかもしれませんね。

認知症にはジョークと笑いで

ケアホームに入所している義父を訪ねると、毎回繰り返し言うことがあります。

あちこちのポケットをまさぐったあとに
「困っちゃったんだよ。財布がなくなって朝から捜しているんだけど、全然見つからないんだよ。どこにやったのかなー。しかし、俺もボケたな」と。

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そもそも義父は家族と食事に行った時は、終わり頃になると必ずトイレに行くと言って席を立ち、その帰りにお会計をサラッとすませて来てしまうというひとでした。

食べ終わって「お会計は?」と夫が言うと
「もうすませたよ」
とさりげなく言い、私達がお礼を言うと、片手をあげてニコっといいからというしぐさをします。恩着せがましい態度は決してしないんですよね。

 

そんな義父ですから、お財布がなくなってしまうというのは、気分的に居心地が悪くどうにも気になってしょうがないのだと思います。それでなくとも、認知症になると、よく財布をなくすというトラブルの話を聞くので、義父にかかわらず大切なお金がなくなることの不安をいつも感じているのかもしれません。


それで、毎回お財布の話題になると、夫が優しく助け船を出し
「お父さん、ここではお財布はいらないんですよ。ここは、お金を使わなくても大丈夫なところなので…」
とケアホームがお財布なしでも生活出来る場所だという説明をし始めます。

しかし、お父さんは最近説明的な話というか、長い話を聞いても内容が頭に入っていかない様子で、私が夫とのやりとりを見ていると、ほとんど訳がわからないといった顔つきになります。

そして、しばらくすると、再びお財布の話を持ち出すので、この間の訪問では、私が応戦してみました。
「お父さん、私にお金をくれようとしているんですか?だったら、ポケットに入れられるような小金はけっこうですよ。下さるなら、こう帯封のしてあるお札の束がいいなぁー」
ジョークを言ってみました。すると「参っちゃうなー」と、大喜び。その日は、それきりお財布の話は出ませんでした。

義父は、想定外の面白い会話にとても素早く反応して大喜びします(^_^;)認知症になっても笑いのセンスがあるので、こちらの冗談は通じるし、義父の冗談は不思議とすべりません。

 

それにしても、夫は実に親孝行な息子で、先日の訪問では、父が戦後会社を起こして50年の長きにわたり経営者として苦難を乗り越え頑張ってきたことをほめちぎり、僕らはいつも尊敬しているんですよ、と持ち上げまくっていました。
「そうか、50年。そんなになるかなー」と義父が気持ち良くニコニコとしているところに、想定外のツッコミを入れるのが私です。
「そうですよー。もしかして、どこかに隠し子とかいるんじゃないですか〜?」
とニヤニヤして私が言うと、義父はものすごく身体を揺すって大笑いしながら、夫に向かって
「このひとはさあ、時々すごいこと言うよなー。今、俺は頭にショックがいって、ボケた頭がシャキーンとしちゃったよ」と、義父流の自虐的なジョークを言って私達を笑わせたのでした。しかし、「時々すごいこと言う」と言ったのはちょっと嬉しい驚き。なぜなら、5分前のことも忘れてしまう義父が、前にも私にショックなことを言われたこと思い出したようなので、私はいい気なもんで勝手に嬉しくなったりするわけです。(いいかげんにしろよってこと?)

そうやって、夫はいつも父をほめちぎる役ですが、私の役目は、放っておくと延々と続く義父と夫の当たり障りなくまともすぎる(笑うところのない)話題に、横から冗談を言ってかき混ぜ、大笑いさせることだと思っています。

認知症にはジョークと笑いで、本人が気になってしかたのない話から話題をそらせるというのもひとつ手だなあと、最近感じたのでした。

母の落とし物

最近気づいたのですが、お腹に脂肪も筋肉もなくなってくると、ウエストのゴムが内蔵を直接圧迫して、細身の下着やパンツははけなくなってくるんですね。母は高齢で食が細いために35キロあるかないかなのですけれど、そういう身体のため、下着も上にはくパンツもゆるゆるとゴムがのびきった状態のものをはいてます。

家にいる時は、そういう格好でも仕方がないとあきらめていましたけれど、外に出かける時も普段着のまま着替えるということを止めてしまった母。それほどファッションにかまう人でもありませんけれど、身だしなみ程度には身ぎれいにして外出していたのに。そういうことを気にかけなくなって来たというのも、老化が進んでいたということなのでしょうか。すべてにおいておっくうがるようになっていました。

今日の漫画は、つい8月、母と私とで病院に行った時のことです。

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この時は、まだシルバーカーを押しながら歩けたんですよね。寝込むと一気に老化が進んでしまうと聞きますけれど、本当にそうで足腰弱ってしまった母は、もうどこにも行きたくないと言い張ります。病院すらも。

歩くのも、椅子に腰掛けるというのも、腰が痛くて無理というので、相当、腰の状態が悪化してきたのだと思います。

今、母はほとんど毎日寝たきりですが、トイレだけは頑張って歩いて行ってます。せっかくポータブルトイレを買ったのに、母は使おうとはしません。兄嫁に、トイレの掃除をさせるのは悪いから嫌だと。

平幹二朗さんが、お風呂で倒れて亡くなったんだよ。真夜中にトイレにいって、体調に異変が起きたら倒れて、トイレどころかオムツになっちゃうじゃない。そしたらもっと嫌でしょう?真夜中だけはポータブルトイレを使ってちょうだい」

と私が懇願すると、しぶしぶ、じゃあ、寒くなって来たらねと言いました。

何でも自分で出来た人というのは、誰かに頼るということを悪いことと思っています。そんな気丈な母なので、もし介護認定を受けたとしても、おそらくデイサービスにも絶対に行かないと思います。私自身も母がデイサービスに行ってほかの方達と歌を歌ったり、絵や工作を楽しんでいる様子を想像することが出来ません。たとえ寝たきりの認知症になっても、母の生き方を尊重してあげるには、どうしたら良いのかと、今、考え始めています。

 

母の入浴介助をやってみて

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実家の母は、ついに自分ひとりでお風呂に入れなくなってしまいました。

私、9月から自分自身の筋力アップのためにフィットネスジムに通い始めたんですけど、どうやら私の出番がやってきちゃいました。そう、母の入浴介助です。

その前に、私は、まず着心地の良い部屋着を買ってあげようと思いました。それは、 見た目パジャマっぽくなくて、かといって流行のモフモフのルームウェアでもなく、これからの季節にふさわしい暖かい寝間着起き間着です。

 

実は、去年、母のためにユニクロでパジャマと暖パンを買ってあげたのですが、若者向きの服は素材は良くても、母からするとキツイのだそうです。高齢の母にとっては、ゆとりのない服は、着づらいし脱ぎづらいんですね。
そこで、普段はあまり行くことのない赤札堂深川店に行ってみました。すると、衣料品売場にはうちの母でも着心地よく着れそうな衣服がいっぱいありました。素材や、サイズ感、ストレッチ感、色と柄、機能性などを考えるとかなり迷います。


そうそう、ずいぶん前から尿もれパッドを母は使用していたのですが、それ用の下着というのを買ってあげていませんでした。世の中にあったんですね。介護に不勉強の私でした。紙オムツはきつくてと嫌がる母のためにこれは便利でした!また、綿のネル生地の着脱簡単な敷きパッドと寝心地良さそうな枕も買いました。調子に乗り買い過ぎてドキドキしてレジに行くと、なんと昨日と今日は赤札堂創業100年祭で、全品オール27パーセントオフということ!ラッキーでした。

 

両肩に大荷物を持ち実家に行くとお昼だというのに母はスヤスヤと眠っていました。しばらくして起きたので、「今日はお風呂に入れてあげるね」と言うと、お風呂はおっくうだと言いはります。そんな母に、シャワーでは身体が温まらないからと説得し、湯船にお湯をはり、私は短パンとTシャツに着替えます。


お風呂は浅めに入れたのですが、母の身体がブルーの入浴剤を入れたお風呂にプカーと浮きました。お魚になった母。手桶でお湯をかけてあげながら、やせ細った母の足をさすってあげていたら、なんだかいろんな感情がこみ上げて来ました。
「やっぱりお風呂はいいわねー」お魚になった母が気持ちよさそうに言いました。
しかし、軽いと思った母でしたが、浴槽から引き上げて洗い場に出すのは、ものすごく力がいりました。ここ毎日60回やっていたスクワットが役立ちました。

 

母の入浴後は、浴室の外で待っていてもらっていた兄嫁にバトンタッチ。母を支えてもらいながらバスタオルで全身を拭いてもらいました。ホカホカの母に新しい衣服を着せるのは、また私の番。兄嫁はシーツを取り替えてくれています。兄嫁と私の素晴らしいタッグマッチ。仕上げに髪の毛を乾かしカッコよくブローしてあげたら、母はすっかりご機嫌になりました。

 

ありがとうを何度も繰り返す母でしたけれども、はるか昔は生まれたばかりの私を沐浴して着替えさせてオッパイをあたえてくれたんですよね。母が長生きしてくれたお陰で、今やっとこちらがお世話する機会を持てたと思うと、私の方が感謝したい気持ちになりました。それでも、この先は、こんなはずじゃなかった、と介護に不満を持つ日が来るかもしれませんね。そんな時は、今日のお魚になった母を思い出そうと思います。

 

老いていくひと、老いないひと

今日は、実家の母のことを書きたいと思います。絵は描けないので文章のみです。

 

 

 

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女学校時代の母

 

 母は89歳になり、去年入歯をひっかけていた歯が抜けてしまってから食事も満足に出来ない状態が続いてました。入歯をいれるのを拒否しているため、身体はやせ細り体力も見る見るうち落ちて来ました。そして、ついに10日前から腰が激しく痛くて動けないと日中も寝たきりになってしまいました。

本当だったら、夫が義父と温泉旅行に出かけるこの週末に、母を呼んで泊まってもらい楽しく食事する予定だったのですが…

それで、私は、母がトイレまで歩けなくなっては大変と思い、急遽ポータブルトイレをAmazonに注文しました。そのため、先週の木曜と金曜は母の寝室の大掃除をすることに。何故なら、母の布団の両脇には、信じられないほどの荷物が母の秩序で山積みになっていたからです。


まずは掃除で埃だらけになると思ったので、母とお布団を移動させようとしたけれど、すごい剣幕で怒って動こうとしません。止むを得ず母の顔に埃よけのマスクをかけ、荷物の強行撤去。
亡き父のものに始まり、古い郵便物や不要になった資料など母にとっては捨てられないものがゴミ袋6つにもなりました。
床に置いてある物を持ち上げ、運び出し仕分けしてゴミ袋に入れ、掃除機をかけ拭き掃除という一連の作業を半日ずっと一人でやりました。スクワット300回位の肉体的にもつらい片付けだったけれど、そのおかげでポータブルトイレを母の布団の横に組み立て設置することが出来ました。
最初、猛反対していた母でしたけれど、片付けだしたら、どうせ自分が死んだら処分しなくちゃならないんだから、氷川きよしのCDやDVD、新聞や雑誌、写真集以外は、全部捨てちゃっていいわよと。
「死ぬ前に、こんなにきれいになって良かった」と最後はすっかり喜んでくれました。頑固な母の荷物整理なんて、娘じゃなきゃ出来ませんよね。
すっかりきれいになったので、土曜日は母を見舞いたいと言う親友がうちの近所に住んでいるので、お迎えに行き実家までお連れしました。
母のいる部屋で3時間ほど3人でおしゃべりし、その後母の親友が私に夕食をご馳走してくださると言うので、蔵前の友達がやっているお寿司屋さんに予約して一緒にお食事をしました。
母と同年の友達は89歳だというのに足腰が丈夫な上、焼酎のお湯割を美味しそうに呑み、ご自身の歯で何でも頂きます。
そもそも、母を、見舞う前に人形町から三越までを徒歩で往復し母のためのお土産を買い、それからメトロと徒歩で根岸の実家まで行き、その後はオシャレな街となった蔵前を二人で1時間半も散策し、お寿司の後はまたメトロに乗りご自宅まで歩かれたのだから、ちょっと信じられないスーパーウーマンです。
母と3人で話していた時も、母は少し認知症気味になってきて同じ話ばかりし会話についていけないのに、母の親友は頭もピンシャンしていて、思い出話を語りよく笑います。

 

二人きりになった時、母の親友は、私に言いました。
過去にどうしたこうしたは関係ない。常に今なんだ。今をちゃんと生きるためには、自分のことは何でも自分でしてご飯も作り、家の中でも毎日欠かさず身体を鍛え、一日4000歩から1万歩は歩く。人生100年時代に突入したのだから、あと10年はあると思うと、まだ何が出来るだろうかとワクワクしてものすごく楽しみだと。

 

その話に感動したので、家に帰って息子に話したら、「お母さんも、まだ40年あるね。おばあちゃんと同い年でも、そういう人がいるってことは、お母さんも頑張れるね」
と言われてしまいました。そう来たか(^_^;)
まあ、そんなに長生きしなくてもいいけれど、いつだって独りで生きていけるんだという気構えを持ち、身体を鍛え、何かにチャレンジして生きることは、それだけで尊く素晴らしいことです。
そして、今をきちんと生きている、そのことが何よりも大事なんだと。