今日もぽれぽれ

「ポレポレ」とはスワヒリ語でのんびり、ゆっくりという意味です♡

脳梗塞で母が倒れました その三

母は脳梗塞で全介護になり、審査の結果、要介護1から5と判定されても、介護度の見直し申請後すぐに認定はおりません。

しかし、入院した病院は、急性期病院でしたので母の容態が良くなれば退院は差し迫って来ます。とういうことで、認定がおりる前から、私たち家族はケアマネさんからのアドバイスを参考に、退院後どういう形で母を在宅介護をしていくか、具体的に考えなくてはなりませんでした。

そして、訪問介護は受けず、私が週5日(月〜金の5日間)兄夫婦が(土日の2日間)という役割分担を決めて実家で介護し、それ以外に訪問看護を週2回、訪問入浴サービスを週2回、訪問医師を隔週1回を受けようという方針を立てました。その他在宅ケアに必要なレンタル用品や消耗品などを入れて、介護保険制度の支給限度額月額約36万円の範囲内ですむように、ケアマネさんにお願いしました。その限度額を超えるサービスを受けると全額自己負担になってしまうのですね。介護保険を利用したとしても医療費は自己負担があり、在宅ケアもそれなりに費用はかかります。

正直、病院に入院中の時の母の容体は、医師からの指摘のとおり、とても回復は望めないという状態でしたので、兄と決めた介護方針で、本当に満足なケアができるのだろうかとても不安でした。

ところが、退院の前日、病院内でカンファレンスが行われ、母の在宅ケアにかかわる担当者が一同に揃って自己紹介をし、そして現時点での母の状態を医師から、また今後こうした方がいいという看護師からの提案があり、それを訪問医師と訪問看護サービスの主任と担当者、そしてケアマネ、レンタル会社の営業マン、そして私たち家族で情報の共有化をしたのでした。

私の不安を感じた退院支援の看護師が「今、ここに集まった人全員、お母様の介護をサポートするチームなんです。不安なことあったら、なんでも聞いてくださいね」とおっしゃってくださいました。自信たっぷりのにこやかな笑顔を浮かべて。ああ、きっとこういうこと、何百回と繰り返しているんだろうなと思いました。

 

家で介護の経験したことのない家族は、病人にとって病院こそが一番安心できる場所と思ってしまいますよね。

ところが、実際、自宅に戻った母は・・・

 

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母の部屋は、病院よりもずっと快適な介護用パラマウントベッドが入りました。ベッドの周りは、四方に母の大好きな氷川きよしのポスターが飾られ、そして枕元に置いたiPadからは母の大好きな氷川きよしの曲がエンドレスで流れ、食事は栄養にこだわらず、甘いものが大好きな母のために高カロリープリンなどのゼリー食品で食欲が出るようにしました。

そして、在宅ケアで感心させられたのは、訪問看護師さんのプロフェッショナルな仕事です。優しい言葉かけから始まり、母の状態で私が気づき不安を感じたことにテキパキと対応してくれます。毎日介護していると、様々な不安な出来事が起きて来ます。ほとんど昼間ひとりで介護している私にとって、週2回の訪問看護師さんは、まるで救世主のような存在です。この方たちは、母の介護をしながら、介護する家族の心のケアもしてくれているのだなと感じました。

吸引も陰部洗浄もオムツの交換も、病院で出来たと思って実際に家でやってみると病院とは色々違いまごつきます。ベッドで全く動けない母の身体の向きを変えたり、ベッドヘッドに移動させたりと、最初は母が重たくて泣きたくなりました。そんな時、楽なやり方を親切に教えていただき、どんなにか救われたことでしょう。しかも、病院の看護師さんは常に大勢の患者さんを相手にしていますから、母のそばにいる時間はせいぜい5分程度ですが、訪問看護師さんは長ければ1時間もいて、しっかり母の状態を観察し、ケアしていってくださいます。本当にありがたい存在ですね。

退院時からずっと見守ってくださっているので、母の様子がめきめきと元気になっていくのを感じた看護師さんが、そのことを医師に伝えて、リハビリの日を1日追加で入れてくれることになりました。

我が家にやって来た理学療法師さんは、菅田将暉似のさわやかな青年。感情表現が出来ない母でしたが、その若いスタッフさんを食い入るように見つめ続けるので、私も思わず笑ってしまいました。そして、彼はある程度母の身体を動かして準備したあと、寝たきりの母をあっという間にベッドに座らせたので、この人もさすがプロだと感じました。身体をほんの数分起こしただけで、その日の母の便通はすこぶる調子よく、やはり人間は二足歩行の動物なんだなと思いました。

母が退院したのが5月21日で、しばらく経った6月17日、いつものように私が母の部屋に入っていくと、母が私の半袖を指さして「あんた、そんな格好で寒くないの?私は寒いから布団かけて」としゃべったのです!「エエーーーー!!!」ですよね。

あーうーも言えない母が、いきなりそんな長い文章をしゃべったのには、もう私の方が気絶するくらい驚かされました。でも、それっきり全く話さないんです。あれはいったいなんだったのでしょう??

多分、毎日介護している私を母は喜ばせてくれたのでしょうね。

母と一緒にいる時間、グーパーで手を動かす運動をやっているうちに、バイバイもジャンケンも、また「口は?」とか「頬は?」と聞くと、動く方の人差し指でゆっくりと顔のその部分を触れるようにもなりました。

私は次第に介護がとても楽しくなっていき、百均で買ったボールでキャッチボールの真似事をし、母の手の中にボールをパコンと入れると、すごい速さでボールをつかめるようにもなりました。また同じく百均で買った幼児用のお絵かきボードで、算数の足し算掛け算の答えを2択で書いて正解を母に指差してもらったり・・・

看護師さんも、これなら秋には車椅子で外にお散歩に連れ出せるかもしれませんねと母の回復ぶりに驚いてくれました。

そして、7月5日、理学療法士さんが百均のお絵かきボードを使い、「数字の2を書いてください」と言ったら、なんとペンをしっかりと持って迷うことなく「2」と書くじゃないですか!

わあ、これは奇跡だ!すごい!すごい!と彼と一緒に大騒ぎ!母の表情はあいかわらず無表情でしたけれど、少しドヤ顔に見えました。

そんな素晴らしい奇跡のような感動を私に与えた翌々日の7月7日、その日は日曜なので私は家にいたのですが、兄から電話がかかり「今、犬の散歩から戻ったら、お母さんが息してないんだよ」と。

七夕の日、母はひとりでこっそりとお星様になってしまいました。



 

 

脳梗塞で母が倒れました その二

母が入院して1週間経った時、担当医師から言われたことは、脳梗塞の範囲は入院時より広がり、半身不随なだけでなく意思の疎通、感情表現もできないということで、回復の見込みはほぼないと言われました。要介護認定5に値する母の状態では、リハビリもできないため転院も難しいので、今後は自宅に引き取り看取るという体制が望ましいのではないかと伝えられました。

とはいえ、本格的な介護など経験したことのない私たち家族が、いきなり要介護5の母のお世話をするのは難しいことは病院側も百も承知で、そのため病院には退院支援というシステムがあり、退院前に看護師から家族に介護のやり方を徹底指導してくれるとのことでした。

 

最初、看護師さんから介護のやり方を見学させてもらい、翌日から彼女達の指導のもとに家族が実際にやってみるというものなのですが、中でも一番やっかいなのが「陰部洗浄」という下の世話です。ただオムツ交換だけかと思ったら、毎日1回必ず陰部を洗浄しなくてはいけないということで、第一回は兄と私とで看護師さんから習いました。兄と私の指導が終わったあと、看護師さんは、他にも習いたいご家族はいますかと聞いてきたので、「おばあちゃんのお世話、自分も覚えたい。弟も一緒に連れていく」と姪が言っていたので、「姪と甥が教えてもらいたいそうです」と伝えると、兄の反応が!

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実際、看護師さんから習ってみるとまごつくことばかり。なかなか大変でした。そして、あらかじめきちんと必要なものを手元に準備しておくことがとても重要だということがわかりました。

兄はこの指導を受けた途端に、すぐにこれらを購入して退院準備を始めました。それだけではなく、褥瘡を防ぐ介護ベッドや、陰部洗浄と一緒に教わった吸引の機械をレンタルしたりと、ひとくちに自宅介護と言ってもこれまでのように部屋に布団を敷いて寝かせるのではなく、ある程度病院のような環境を整えるのだから、ケアマネさんとも相談し準備に色々とお金もかかります。

 

そんな家族の大変さなどわかるはずもない母は、いつ病院に行ってもほとんど眠っていて、声をかけると目を覚ますけれども、またすぐに寝入ってしまうという状態でした。

 

ところが、入院し点滴がはずれ6日目にはドロドロ食を食べさせたと聞き、すごく驚かされました。それは一番最初にスタートする嚥下機能の回復というリハビリなんだそうです。

これまで当たり前にしてきた「食べる」という行為が、こんなにも生命維持において大事なことだったとは、考えたこともありませんでした。

必要な栄養を取り「食べる」こと。これは、脳にある摂食中枢と嚥下中枢からの指令で口や喉を動かして、水分や食物を口に取り込み、胃へ送り込むことで、これを「摂食嚥下」の運動というようです。この運動機能をいち早く開始しないと、どんどんと衰弱してしまうわけで、特に入院時に延命治療を断っている母は自力で嚥下機能を回復し栄養摂取しないと、すぐさま死に至ります。

幸い、リハビリの方がトロミをつけた食事を時間をかけながら少しずつ食べさせてくれたおかげで、10回のうち7回は食べられるようになりました。

 

ただそこに至るまで、むせて食べられないこともあり、ある時医師が私にこのまま口から食べられないようだと鼻から管を通して栄養を入れることになりますが、どうしますか?と聞いてきました。「経鼻経腸栄養」というそうですが、それをしないと生命に危険が迫ることになりますが、とおっしゃるのです。それは延命治療ではないのですか?とお聞きすると、何故かそれには当たらないと。それで私は「では、先生が、母と同年で、脳梗塞で今の母と同じ状態になった時、鼻から栄養を入れるという行為を望みますか?」と逆に質問してみました。すると、先生はとても困った顔をし言いにくそうに「お母様の年齢を考えますと、まあ、私は望まないだろうと思います」

とても正直な先生だなと思いました。「では、母もそれはしません」と応えました。そういうやりとりを、眠っている母に聞こえていたかどうかはわかりませんが、そのあと、口から食べるようになったのでした。

 

 

 

 

脳梗塞で母が倒れました その一

しばらくずっと更新できずにいました。

実は、タイトル通り、母が脳梗塞で倒れてずっと病院に付き添っていたからです。

母は4月10日で満92歳になりました。私は、その前日の9日に夫が買ってくれたお菓子をプレゼントとして持っていき、母と楽しく談笑しました。

「あら、あたし、まだ92歳なの?じゃあ、百までまだまだだわねえ。」

「そうよ、お母さん、それにもう間も無く元号が平成から令和に変わるのよ。お母さんは昭和2年生まれ、昭和と平成をまるまる生きたんだから、すごいことよね。そして令和の時代になれば三つの元号を生きることになるのよ。すごいねえー!」

認知症の母は、その時「令和」という元号のことがよくわかっていないようでした。それで、私は天皇陛下のご退位についての説明をし、新天皇陛下と皇后様のお写真をスマホで見せながら、新しい時代の幕開けを話しました。

その4日後、13日の夜、母は突然前触れもなくトイレで倒れました。

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実は、母が脳梗塞で倒れる数週間前に、家の中でトイレまで行く途中に転んでしまい、その日以来腰が痛いといって、1日のほとんどを布団の上で過ごすようになっていました。

それでも、気丈な母は、痛みをこらえながらも、トイレだけは、7、8メートルくらいある廊下をシルバーカーを押して頑張って歩いてました。

私が母に会いに行くと、部屋の中にあるポータブルトイレを指さし、「大きい方だけはトイレでしないと迷惑がかかるから、トイレまでは歩いていくの」と言っていました。

そういう母のひとに迷惑をかけたくないという気持ちは、私にもよくわかるし、その結果、筋力も鍛えられて足腰が丈夫になれるのならと思っていました。

今回、トイレで静かに逝ってしまうことなく、病院に運ばれてとりあえず一命を取りとめたことは、家族にとっては有難いことでした。

病院に搬送されるとすぐにCTを撮り、医師から母が脳梗塞であることを伝えられました。しかしながら、高齢で認知症が進んでいた母は、脳が萎縮し頭蓋骨との間に隙間があり、血管が詰まって脳が膨張してもその隙間があるお陰で助かったのだそうです。もっと若い年齢だったら、こんなに広範囲に脳梗塞が広がれば、脳に圧がかかり死にいたるとのことでした。

高齢のおかげで助かったんですね。

とはいえ、意識はなく、ぐったりとした母を見ると、家族は、母の死を覚悟しなくてはいけないことを悟りました。

医師からは、脳梗塞発症4時間以内の治療、8時間以内の治療のタイムリミットが過ぎた場合、出来ることは限られますが、今後のことについてどうするか尋ねられました。

その時、私は、母が書いた延命治療を望まないという強い意志の書き置きをスマホに写真撮っていたことを思い出し、先生にそれをお見せしました。

そうなんです、たまたま金庫にしまってあった母の手書きの「尊厳死の宣言書」をスマホで写真を撮っていたのが、まさかこんな非常事態にすぐに見せることが出来たというのは、自分でもビックリでした。

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ずいぶん前になりますが、主人の方の義母が脳内出血で病院に運ばれた時は、家族が戸惑っているうちに、どんどんと治療が進み人口呼吸器に始まり、次は胃ろうにしますか?という急性期病院ならでの延命治療メニューの決断に迫られました。

たしか、その時に私と一緒に義母を見舞いに行った私の母が、無意味な延命措置はしないでほしいと書いておく必要があるわねえと言い、後日この書面を作ったのでした。そして、これと一緒に、兄、兄嫁、私宛に、この内容に書いてあることを実行して欲しいと、別にお手紙が添えてありました。

とはいえ、この母の宣言書はどの状態になった時に執行すべきなのか、家族にとっては悩ましいものですよね。今回、もっとずっと早くに病院に運ばれたなら、4時間半以内、8時間以内の救命処置をしたと思います。この場合は、無意味な延命治療ではなく、きちんとした救命措置なのでいいのかもしれません。けれども、タイムリミットを過ぎた途端に、この宣言書の執行になるのかと思うと、母の意志とはいえ、複雑な思いになりました。けれども、母を思い決断が鈍る時にこそ、この宣言書は私達家族に勇気を与える母の大いなる愛なのかもしれないと感じたのでした。

 

おばあちゃんと犬

先日実家の母に会いに行った時、離れて暮らしている姪が、まだ飼い始めたばかりの赤ちゃんの犬を連れてやって来ました。まだ家から外に連れ出したことがなかったので、その日はお披露目と同時に、ひとに慣らす訓練も兼ねてクルマに乗せて来たのでした。

 

マルチーズとトイプードルのハーフ犬で、3月3日にやってきたということでオスだけれどもミミちゃんという名前。今日の漫画はその時のお話です。

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実家には、兄のところに、中学出てから高校には行かず絵の教室に通っている末の息子がいるのですが、その子が動物大好きで、ある時どうしても犬を飼いたいと言い出しました。家にひきこもって外でひとと触れ合うことが苦手な子でしたが、ペットを飼うことで朝早起きして散歩に行くことと、餌代のためにコンビニで働くことを条件に、コーギー犬を飼うことになりました。

 

ただ実家の母はとてもきれい好きなので、ペットを飼って家の中が汚れたらきっと怒るだろうからと、おばあちゃんの許可を得ることなく、二階でこっそり飼い始めました。

コーギーはそれはそれはおとなしい犬で、誰が家に入って来ても決して吠えることがなかったので、二階の甥っ子の部屋で飼っているコーギー犬に、さすがのおばあちゃんも気づくことはありませんでした。

その後、母の容態が悪化して全くの寝たきりになってしまったので、認知症はさらに進行していき、最近起こったことはどんどんと忘れてしまうようになりました。

わりと大きな実家ですので、二階で飼っている犬と母が遭遇することもあまりなかったのですが、そのうち、母も元気になり二階にも上がれるようになったのですけれども、母の目の前に犬がいても何故か気づかないようで、それはなんとも不思議といえば不思議なのですが、犬が家の中にいるとは信じていないため、母の記憶に犬の存在は定着されないようでした。

そんなところに、姪がまだ産まれてまもない生後3ヶ月のふわっふわ、モフモフの可愛いベビー犬を連れて来たら、母はさっと手を出して抱き上げながら「私が犬好きだってことがわかるのねえ」と言ったのには、私たち驚かされました。しかも、兄や私がまだ生まれる前に、この家で犬を飼っていた時代のことまで思い出したのですから、母の脳に電流が走ったことだけはたしかなようです。

ところが、二階で飼っているコーギーのコイチの存在だけは、やっぱり認識できていないようでした(笑)

最近ケアホームでは認知症の入所者のためにセラピー犬を飼っているところも多いようで、現に義父のケアホームも去年までは可愛いビーグル犬が受付にちょこんと座ってました。

今回のように、直に可愛いベビー犬と接したら認知症のせいか喜怒哀楽の表情が乏しくなってきていた母がとっても嬉しそうな顔をして、しかも昔の記憶を思い出し語ったりしたので、犬のセラピー効果はたしかにあるものだなと実感しました。

この先、姪が時々クルマに乗せてミミちゃんを連れて来てくれたら、おばあちゃんは今よりももっと元気になるような気がして、私もとても嬉しい気持ちになりました。

 

結婚15年目の新婚夫婦?

「這えば立て立てば歩めの親心」(生まれた子供が這うようになれば、親は早く立たないかと思い、立つようになれば早く歩くようにならないかと思うこと)ではありませんが、子供が生まれてからというもの、はやる気持ちにかりたてられたものです。そして、ある程度大きくなってくると、今度は子供の世話からいち早く解放されて、子供の生活に追い立てらず自分だけの自由な時間がほしいなどと思ったりして、実に勝手なものですよね。

 

私も子供が授かった時から、お腹の中で成長していく喜び、生まれてすぐにオッパイをあげる喜び、少し成長し目が合って微笑みを返してくれた喜び、歩くようになった喜び、おしゃべりができるようになった喜び、おもちゃで遊ぶようになった喜び、幼稚園・学校にあがる喜び・・・と、ずいぶん長いこと、楽しませてもらいました。育児に追われている真っ最中は先が見えない大変な時期もありましたが、過ぎてしまうともう少し子育てのひとつひとつをじっくりと味わえばよかったなあと反省もしています。

 

さて、今月、息子が家を出て自活するようになり、娘も数年前から出ているので、ついに夫婦ふたりの生活になりました。地方の親御さんだと子供の進学で都会に送り出した時から親元を離れてしまうのだから、もっと早くに夫婦ふたりの生活になってしまうのでしょうね。

私たちの場合は、再婚でしたので、夫婦ふたりの生活というのはなかったので、常に子供がいる状態からのスタートでした。ですから、新婚生活も家族4人だったわけで、そういう意味で、夫婦ふたりになったのは、これが初めてというわけです。

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いざ、夫婦ふたりになってみると、洗濯物の量は激減するし、食事のしたくや手間は同じでも、買物の量が変わります。結婚以来4人分→3人分→2人分となったわけで、野菜もこれまでのつもりで買っていると、野菜が傷んでしまったりするので、小分けしたものを買わないと不経済になってしまいます。そんなことを思って二人分を作っていると、娘から「今日早く帰れそうだから、ご飯食べにいってもいい?」とLINEが来て、慌てて料理の品数を増やしたりするわけですが、これまでだと面倒だなあと感じたりしたことが、毎日二人きりの生活が続くと、娘の実家帰りは大歓迎になります。別に特別なご馳走を作るわけじゃないけれど、なるべく野菜豊富で栄養を考えて作ってあげようという意欲がわいてくるから不思議です。

 

これまで人生いろいろとあったけれども、これからは、人間本来の生き方にもどっていくような気がします。ちゃんとご飯を食べる、ちゃんと睡眠をとる、ちゃんといい関係で家族を見守る、ちゃんと季節を感じる生活をする・・・ような。そういうことを心がけながら、1日1日を大事に生きて、何かあったとしても、とにかく笑顔を忘れずに生きる。そんな普通で当たり前の生活が続いていけばいいなあと心から思います。

母がどうしてもやりたかったこと

母が寝たきりになって、美容院にも行けなくなり、それまで染めていた髪がだんだんと伸びて根元からほとんどが白髪になったとき、ある日私は母の髪の毛の白髪部分を残して染め残しの汚い毛先部分をカットしてあげました。すると母はもともと若白髪でしたので、本来の髪の毛はすっかり真白になり、まるで外人のように綺麗な美しい銀髪ヘアーになりました。そんな母の髪の毛を見て周囲は皆きれいになりましたねとほめていたのですが、当の本人だけは、その真白な髪の毛を認めようとしませんでした。

その日以来ずっと母は鏡を見るたびに小さな悲鳴をあげては、白髪ヘアーを嘆き悲しむようになりました。けれども、日にちが経てば、さすがにそれも見慣れるだろうと私たち家族は気楽に考えていました。

しかし、認知症が進行してきた母にとって、今がいつなのかがわからなくなっていたため、まだ仕事をしていると錯覚することも多かったので、鏡を見ては「こんな髪じゃひとに会えない!美容院に行って髪を染めなくちゃ!」と、毎日何度も繰り返して言うようになりました。

とはいえ、一度は介護認定4にまでなってしまった母、歩けるようになったとはいえ、家の中だけで玄関から外へは出なかったし、また部屋では常に横たわってお布団の中に入っている生活でしたので、美容院に連れて行き髪を染めるなんてことは体力的にも無理だと思っていました。また、毎日着たきり寝たきりの91歳の母が髪の毛を黒く染めるなんて無駄だと思っていました。折しもグレイヘアーなるものが流行り、これはいい風潮だとばかりに、私はグレイヘアーの素敵な芸能人の写真を部屋やトイレに貼って、母に髪の毛は染めない時代になったことを伝えようとしました。

しかし、そんな外部からの情報は、髪の毛を染めたい一心の母の脳裏には焼きつきませんでした。

 

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とにかく、母は、どうしても髪の毛を黒く染めたかったんですね。兄嫁が目を離したすきにお金も持たず近所の美容院にシルバカー押しながら行ってしまいました‼︎兄嫁からLINEが来て「すっかり綺麗になった!」と写真が送られて来た時は驚いたのなんのってまじ?ってなりました(笑)

カットして染め終わるまで2時間もかかったので、美容院から連絡が入り兄嫁が迎えに行き家に連れ戻った母は、疲れすぎてずっとそのまま眠り続けてしまったそうです。そりゃそうですよねえ。普段、動かず椅子に長らく座った状態でいることなんてありませんから。しかし、91歳の母の生命力を感じました。

母にとって、髪の毛が黒い状態でいることが、心の安定だったようです。母の身近にいる家族はそのことになかなか気づけなくて型にはまった考えでいたのを、ちょっと離れた場所にいる夫の方が、母の生き方を理解し、鷹揚にかまえて見守れる優しさを持っていたのには、ちょっと感動しました。

 

 

 

 

夫のグッジョブ!

今年は結婚15年目を迎えるので、ぽれぽれファミリーの家族も同居してから同じく15年になります。一緒に暮らし始めた時、娘は16歳、息子は14歳。今から思うとずいぶんと子供が多感な年頃の時に再婚したものです。しかし、夫や夫の家族にも支えられ、子供たちは何の心配もなく学業に専念し大学まで行かせてもらい、本当にありがたいと思ってます。

そんな家族4人を振り返りながら始めた4コマ漫画ですが、数年前に娘が独立して出ていき、そして今年は息子が出ていくということで、この「今日もぽれぽれ」の漫画はこの先どうなってしまうのでしょう?「夫婦ぽれぽれ」にすべきなのか、「老後ぽれぽれ」にすべきなのか?

 

そして、息子はまもなく29歳。地方に住んでいたら大学進学時から親子別々の暮らしになるわけで、家を出ていくということは全然たいしたことではないのですけれど、夫はやたら「寂しくなるなあ」を連発します。そして、「君もいざ息子が出てしまったら寂しくなるよ」を繰り返します。とはいえ、家の細々としたことをやる身からすると、洗濯やご飯づくりの量が減るわけですから、いい面もあるのではないでしょうか。うちには、とても手のかかる夫がいますので、本格的に寂しくはならないのではないかな〜なんて思ったりして。

さて、家を出ていこうとする息子に夫が援助してほしいことはある?とやさしく声かけをしたようで、そしたら息子が冷蔵庫を買ってほしいとラインで夫に伝えてきたようです。

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夫が感傷的な気持ちもありつつ息子に冷蔵庫代にとお金を手渡したその直後に、私が生活費を取り立てたので、僕のお金をまきあげないでと夫に言われてしまいました(笑)

 

そういえば、息子が中学3年時にバドミントン部の合宿に行った時、その合宿から戻って来てしまったことがありました。その時「お母さん、もうバドミントン部はやめたいんだけどいい?」と悲しい声で相談されました。入学時にもし部活をやるなら3年間は続けることという約束をして入部させたので、私としては残念に思いました。そして、合宿費もそれなりに高額だったので、辞めてもいいけれど合宿費はおこづかいから返してねと返却を求めたことを思い出しました。

後に息子はあの時の退部の精神的ダメージより、母親の「金返せ」の一言のがショックだったそうです(笑)ま、結局合宿費は半分戻って来たので息子は全額負担せずにはすんだわけですが、私を恨んだそうです(笑)

とはいえ、私は息子に親が働いて稼いだお金というものの大切さを返却というペナルティーを与えて教えたかったのでした。

 

さてさて、夫のグッジョブで、息子は新しい住まいで使う冷蔵庫を手にしたわけですが、これから無駄遣いすることなく、そして何よりもひとりでなんでもできる、そういうひとになれるでしょうか?間違っても、身近な「困ったちゃん」のようにならないでもらいたいです。炊事、洗濯、掃除、どれも、ちゃんとできるひとになってくださいね。