今日もぽれぽれ

「ポレポレ」とはスワヒリ語でのんびり、ゆっくりという意味です♡

不思議で泣けちゃう話

私の親友のルミちゃんは、私と同じ大学だったけれど、すごく親しくなったのは大学を卒業してからでした。彼女は某ファッションブランドのプレスをやっていて、いつも忙しく飛び回っていました。

私が働いていたオフィスが南青山で、ルミちゃんの北青山のオフィスと近かったので、時々ちょうど真ん中あたりの青山通りのお店で待ち合わせし、お昼を一緒に食べました。

ルミちゃんは仕事柄いつもカッコいいファッションで現れました。そして、お洋服だけでなく、アクセサリーも耳や首、腕まで大きくてジャラジャラするのをつけていて、青山通りの横断歩道でルミちゃんが現れるととても目立ちました。

互いに仕事が夜遅くまであったので、飲みに行く時間は夜もふけ、西麻布のクラブや外苑前、また彼女の家が新宿2丁目だったので、あちこちはしご酒して飲み歩いていました。

私が結婚して子供が出来てからは、ルミちゃんとはなかなか会えず、だんだんと電話でのやりとりだけになってしまったのですけれども、プレスの仕事で海外に出た時は、パリやニューヨーク、時にはアフリカからもマメに絵葉書を送ってくれ、またある時はパリから電話をかけてきたりして驚かされました。

そんなルミちゃんは、元気いっぱいだったのですが、ある日プールで泳いでいる最中に突然くも膜下出血で倒れ、そのまま帰らぬひととなってしまったのでした。

私は親しすぎたせいか?彼女のアドレス帳に私の連絡先が記載されていなかったらしく、私のところには訃報が届かず、お葬式にも出ることができませんでした。その後、人伝てで彼女が亡くなったことを知り、私は彼女から届いた海外からのメッセージ葉書をご実家のお母様に見せてさしあげたら喜ぶと思い郵送すると、お母様から納骨には二人の子供を連れてぜひ出てほしいと電話をいただきました。

 

生前、ルミちゃんは離婚の危機にあった私の結婚を心配してくれていました。

彼女の死後、いろいろとすったもんだあった後、離婚が成立して二人の子供を連れて小さなアパートに引越しをしたわけですが、その疲れきった夜、私はそれまで全く見たことなかったルミちゃんの夢を見たのでした。

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私は青い橋が見えるこの部屋に引っ越したいと思いました。ところが、その部屋には先約があり審査に入っているということだったのと、夫の引越し準備が整いそうもないということで、気に入っていたのですが、その物件を見送ることにしました。

それから半年くらいがたち、違う不動産会社でもう一度お部屋探しを始めたのですけれども、なかなかいい部屋がみつかりませんでした。半年前に見せてもらい流れてしまった物件が気に入りすぎていたというのもありました。

ある日、不動産会社の営業の方が、どこか気にっているところがあるのですか?と私に聞いてきたので、私は前の不動産会社に紹介され案内された物件の話をすると、すぐに調べてくれました。

すると、なんと不思議なことに、その部屋は空室になっていたのでした。

そんなわけで、私たちは、幸運にも一番最初に見て気に入ったお部屋に引っ越すことができたのでした。

 

奇妙なことが、また起きました。

ちょうど、この漫画を描いていたら、電話が鳴ったので出てみたのですが、受話器の向こうからは何も声が聞こえてきませんでした。でも、私は何だかルミちゃんがかけてきたような気がしました。

私は、ルミちゃんに今幸せだよと伝えてあげたかったです。

この話、私にとっては、ちょっと不思議で泣けちゃう話なんですよね。

 

 

母はいつでも救いの神様

今日は母の入浴日でした。

兄がクルマでうちのマンションまで送ってくれ、私が母を部屋に連れて行き、入浴介助をします。

うちが高層マンションの高いところにあるので、エレベーターで上がると「マサカズ(兄)もお風呂に入っていくんでしょ?」と、なんだか、我が家をビルの中にあるお風呂屋さんと勘違いしている気がします(笑)

 

最近まだら認知症気味の母の決まり文句は

自分の腕をさすり、浮き出た血管を指差しながら

「みてよ、こんな血管が浮き出ちゃって、もう骨と皮だけよ。骨皮筋子だ」

また、今年の4月に90歳になったばかりなのに

「もう100歳だからどうしようもないね」

 

はじめ「まだ90になったばかりよ」と私は母の言うことを否定していたのですけれど、繰り返し100歳と言い続けるので、否定せずに最近では母の言うとおり100歳ということにしています。

家庭と仕事を両立させて、なおかつ常にひとの世話まで焼いていた母。

老いて、だんだんと自分のことができなくなってしまい、良妻賢母だった母のプライドがもしかしたら少しずつ傷ついているのかもしれません。それで毎回同じセリフを繰り返し、子供にやっかいになって生きている自分自身をなぐさめているのでしょう。

今日は母を思って漫画にしてみました。

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古い話で恐縮ですが、昭和61年~72年、日テレで一斉を風靡したバラエティ番組「シャボン玉ホリデー」の名物コントの一場面にこんなのがあります。
病気で寝ている父(ハナ肇)に娘2人(ザ・ピーナッツ)がおかゆを作って持って来ます。

「おとっつあん、おかゆができたわよ」

「いつもすまないね、オレがこんな体でなければ」

「それは言わない約束でしょ」

おちは毎回違うのですけれど、同じコントを毎回やっていました。

 

このコントで年老いた親は子供に面倒をみてもらっていることをいつもすまながっていたんですよね。

このコントじゃないけれど、母もそう感じているのかなあと思いました。

でも、これまでいろいろ心配をかけて世話ばかりかけた母に何の恩返しもできなかったら後悔しまくると思います。今、小出しですけれども、こうやって母親の面倒をみられること、これは本当にありがたいことなんじゃないかと思います。

 

 

母から息子への卒業祝い

最近大人になってから歯の矯正をするひとをけっこう見かけます。

歯ならびってけっこう気になりますよね?

私の歯ならびはかなりひどいものなのに、歯の矯正は保険外で高額治療なため、私の親は歯の矯正をしてくれませんでした。お陰で私はトウモロコシを人前で食べられません。なんて汚い食べ方をする人なんだと思われてしまうからです。

また、大口をあけて笑うのも、ちょっと躊躇、、してないか(笑)

しかし、私の兄は昔、私の歯並びを見て「お前の歯はうちが貧乏だったのを物語ってる」と自分の親に対してずいぶんと失礼なことをよく言ったものでした。

矯正でなくても、今や歯の治療は保険外の高額治療が一般的になりつつあるのか、最近は治療前に見積もりが提示され、どうしますか?と聞かれますよね。あれ、けっこう悩みます。

今日は、息子が小学校時代の漫画です。

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塾の帰りに自転車に乗っていた息子が、何かをよけようと突然ブレーキをかけた途端に、ハンドルに頭から突っ込み、顔面血だらけになり救急車で病院に担ぎ込まれました。

私はその知らせをメトロの携帯で知りました。ちょうど途中駅で携帯電話が鳴り、出てみると娘が取り乱しながら「お母さん、事故、ナオキが救急車で運ばれた!」え?って聞き返した途端にメトロが動き出して携帯が切れ、次の駅でちょうどまたかかってきて、今度は実家の母が出て「○○病院だって!あんた、場所がわかるならすぐに行ってあげて」と。

もうあの時は、息子の状況が全くわからなかったので、娘の電話から一気に最悪な状態を想像してしまい、心臓はバクバク、携帯持つ手がブルブルと震え出し、涙は出てくるわで、あんなに取り乱したのは人生で初めてでした。

ちょうど病院がメトロの沿線上だったので、そのままかけつけました。夕方で外来診療は終了していたので、病院の入口は閉鎖され、夜間通用口で事情を言うと、案内された場所に息子がポツンとひとりで座ってました。

私が声をかけると、なんと息子は自分のことより、かけつけた私を気遣い「お母さん、心配かけてごめんなさい」と泣き出したのでした。

すると、医師が出てきて、「レントゲンと脳波を調べましたけれど異常はありませんでした。ただ、前歯で唇を切ってかなり血が出て、また歯も折れて神経がむき出しになっているので、大至急歯医者に連れていかれた方がいいと思います」との説明でした。

それから、タクシーで地元の歯医者に電話してとびこむと、そこも診察は終了していたのですが、息子の歯があまりに無残な状態だったので、すぐに治療をしてくれました。

歯医者の先生は「お母さん、この前歯2本はもうダメだから、根っこだけ残して差し歯になりますよ。いいですか?」と言いました。

いいも悪いもないので、お願いしますというと

「差し歯は、保険にしときますか?まだ子供だし、プラスチックの歯で見た目悪くてもいいよね?」と聞かれ、当時うちは母子家庭だったので、保険での治療以外は考えられませんでした。そういうことを配慮してくれたのか、この歯医者の先生、儲け主義ではなく、とてもいい先生だったので助かりました。それに、息子の歯の治療に診察時間を超過して残業してくださり、すべて終わったのは10時近かったと思います。

 

息子の前歯は、その後異常なく大学までずっとそのままだったのですが、私は息子のプラスチックの歯が黄色く変色してきているのがとても気になっていました。私は自分の歯の矯正してもらえなかった経験があったので、せめて息子の歯をきれいにするのは、親の自分の役目だと思いました。

そう、それで、息子の大学卒業祝いとして、前歯をセラミックの美しい白い歯に(笑)

社会人になると、歯の治療で長期間歯医者に通院するのは厳しいと思ったし、いつの日か好きな人でもできたらきっと感謝してもらえるだろうと思って。

でも、息子は社会人になったら、パソコンはいくつも買うわ、ゲーム機もゲームソフトも次々買うわ、けっこう高額な無駄遣いしているので、こんなんだったら自腹で治療させてもよかったかな?

 

でも、息子が大口開けて笑っている時の白い前歯を見るたび、ああ良かったな〜って母は思っているのです。

 

分娩室ひとりぼっち

今日は娘の誕生日です。

なんと娘も三十路となりました。娘も驚いているかもしれませんが、私自身が一番驚いてます。

今日は、私の初めての出産、つまり娘の誕生の模様を思い出しつつ書いてみようかと思います。

30年前、真夜中の2時ごろ陣痛が始まり、家の近所の病院に入院しました。今はどこの産科も、女性が不安なく出産を迎えられるよう至れり尽くせりだと思いますが、30年前は産科だからといって、妊婦さんにやさしい環境ではありませんでした。真夜中通された妊産婦がいっぱいいる大部屋の薄暗い病室で、ベッドに横たわり、私はひとり心細く痛みに耐えてました。

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夜が明ける頃、痛みと戦っていたはずの私はリラックスできる音楽をイヤホンで聞いていたために寝入ってしまいました。すると朝になってやってきた看護師さんに、「眠ったらせっかくいい感じで来ていた陣痛が遠のいてしまったじゃないの」と、眠ってはいけないと注意されました。朝食も昼食も出たけれど、痛みで食べるどころではありませんでした。

その日の分娩はどうやら私だけだったらしく、夕方になると、私を分娩室に運び、分娩台に乗せると、看護師さんは「このぶんなら、夜の7時過ぎかしらねえ」と言いました。この痛みで、こんな恥ずかしい格好であと2時間もいろってこと?ショックでした。

そうこうしているうちに、看護師の交代時間なのか、私ひとりを残して看護師は出て行ってしまい、部屋には誰もいなくなってしまいました。

ひとりにさせられた不安もあってか、急に強い陣痛に襲われ、相当危なっかしかったのですが、固定された両足をはずして分娩台をおりて、看護師さんを呼びに行こうと思いました。ところが分娩室の扉を開けた先の処置室にも、看護師さんはいなくて、机の上の電話の受話器を取りあげても誰も出なくて、そのうちポーンと破水してしまいました。そうなると、もう恐怖でしかありません。耐えきれない強い痛みからパニックになり「誰か助けてー!」と大声で叫んでいました。病院の分娩室で、これはないだろって思いました。

ようやく、看護師が入って来て、私が状況を説明すると「あら、まだずっと先だと思っていたのに、助産婦さん呼ぶから、分娩台に上がりなさい」と。

この看護師は鬼だと思いました。

私の両足を固定すると、「フーフーハーでしょ!ちゃんと呼吸する!」と命令口調。

まだ絶対に出産経験なんぞないだろう若い看護師に怒られながら、呼吸を整えようとしても、痛みが強すぎて上手な呼吸なんてできませんでした。そのうち初めていきみが襲ってきて、「ダメ、いきみたい」というと、看護師に「今準備しているからダメダメ!まだいきんじゃダメ!」と叱られ、いきみを我慢していたら、遅れて入って来た助産婦さんが「いいわよ、いきみたくなったら、いきんだって。そんなすぐには出て来ないから大丈夫よ」と言われました。ところが、やっとかけられたやさしい言葉に救われたのか、私の不安が消えて、2、3回いきんだらいとも簡単に出て来てくれたのでした。出産はやっぱり助産婦さんの力が偉大だ!

そして、お腹の中で私を蹴飛ばしていた我が子とようやく対面できた感動は、30年経った今も忘れることはできません。

こんな話を娘にしたかどうかは覚えていませんが、30年経った今日、私の備忘録として漫画にしておきました。

自分の時間

長らく投稿していませんでした。

別にこの間に何かあったということではなく、自分の中から湧き出てくるものがなかったからです。

 

少し日が経ってしまいましたが、歌舞伎役者の海老蔵さんの奥様、小林麻央さんがお亡くなりになったことは、日本全国悲しみに包まれました。私もそのひとりでした。

上に女の子、下に男の子の二児の母親という共通点しかないのですけれども、まだ可愛い盛りの子供と愛する夫を残して旅立つということ、実際のところどうなんだろうと考えてしまいました。ブログではとても優等生的に書かれていましたけれども。。。

 

子供が生まれてしばらくすると、たいていの母親は毎日が戦争になります。とくに大人の都合を顧みない子供に振り回され続けます。手がかかる時期には、むしろ家で子供をみてるよりは、外に出て普通に仕事している方がずっと楽な気がしたりして。そして、気づくと家事全般がとても憂鬱な存在になってくるんですよね。家事から解放される自分だけの時間を少しでも長く持てたらいいな、そんなことを考えるようになります。

 

でも、もし、私が小林麻央さんのように、余命何ヶ月と宣告されたならば、私はどうしたいだろうか、おそらく、私は自分のための時間を優先するよりも、家族とかかわれる普通の時間を大切にしたいのではないか、ふとそんなことを考えてしまいました。

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先日、『人生フルーツ』の映画を観て来ました。

これは是非観るべしと、仲の良い友達に勧められて。

私は大都会のど真ん中で生きているので、この風と雑木林に囲まれての夫婦生活とはほど遠いのですけれども、この映画のすべてが腑に落ちたというか、共感しました。90歳のご主人と87歳の奥様の二人暮らし。ご高齢のご夫婦で、それこそ日常の生活をご夫婦でするだけでも大変だと思うのに、畑と自然相手の作業に毎日追われつつも、食べることを含めた家事を愚直なまでに丁寧にやっていて、本当に頭が下がりました。

そして、夫のことを「修たん」奥様のことを「ヒデコさん」と呼び合うご夫婦が恋人のように仲良しで、日常の何をしていても楽しそうなんですよね。それが実に羨ましい。

毎日のここからここまでが家事、ここからが自分の時間というふうに分けて考えがちだった自分でしたけれども、そうか、家事の時間も自分の生きている大切な時間なんだと、この映画をみて、いまさらながら気づいたわけです。ほんと、恥ずかしい限りです。

 

話は戻って、小林麻央さんが、ご自身の寿命を聞かされた時、私は家事も含めた日常の細々としたこと、そんなことをきっとやりたかっただろうになあと思いました。ご飯のしたくのためにお買い物に行くとか、お料理をするとか、お庭の水まきをするとか、家族皆で一緒にテレビを観るとか、そんな一見記憶に残りにくいようなたいしたことない日々の暮らしの中に、ひとの心の奥深い部分に澱のようにたまっていく幸せがあるように思いました。還暦になり自分の人生の時間もそう長くはありませんけれども、そういうことを大切に生きていきたいと思いました。

主婦だって好きに旅行したい

私は昨年12月に慢60歳になり、これまでの人生色々とあったけれども、とりあえず二人の子供を社会に出し、そして今年の3月には娘の結婚式を無事に終え、子育て卒業旅行くらいしてみたいなあという心境になりました。周りの主婦をしているお友達も、結婚した娘に孫が出来ると行けなくなるからとか、または赴任先の子供に会いにとか、親と一緒にとか、学校時代の友達同士でとか、またはひとりで気ままにとか、様々な理由で夫を家に置いて海外や国内旅行に出かけているひとがけっこういます。

私は結婚してから、娘が大学卒業した直後と転職時期に合わせて、二度ほど母娘で海外旅行のため家を留守にしましたが、それ以外では、旅行で家をあけたことがありませんでした。そろそろ、私だけの旅行がしたいなあと、このところずっと思うようになっていました。

それというのも、いざ還暦になってみると、自分の身体も50代よりはずっと衰えてきたし、もし何かやりたいことがあったなら、今やらないとダメなのではないかと強く思ったからです。

けれども、昨年から実家の母が体調をくずしていたので、さすがに旅行で東京を離れることはしばらく無理と思っていたのですが、その母がここのところ元気になってきたので、もし旅行に出かけるのなら今だ!と思い始めていました。

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夫がいやがることはわかっていたのですけれども、3泊も4泊もたいして変わらないじゃないか、そんな気がしてきて、それならば4泊5日丸々旅行に行こう!と計画を立てたのでした。案の定、夫の反応は最初ちょっぴり「僕をおいていくなんて」モードでしたが、意外とあっさりとオーケーして許してくれました。まあ、夫にとっては、「私がいないこと=日常の不便」が最大な不都合で、実際には毎日平日は仕事しているわけだし、家には息子だっているわけでひとりぼっちにはならないし、ガミガミ言う鬼嫁のいない留守も悪くないなあって思ってくれたなら、今回の旅行は次に繋がる大きな一歩になるような気がしました。

よくテレビで仲良し夫婦に秘訣をうかがうと、しょっちゅう一緒にいない、夫婦適度な間合いを取るということをよく耳にします。

私たち夫婦は、これから適度な間合いを大切に、互いの自由も尊重した生き方をしていけたらいいな、と思います。

まずは、夫に妻のいない留守に慣れていただきましょう。

スクワットを習う

スポーツジムはすごいところです。

新しく入ったひとを、パーソナルトレーナーがやさしく話しかけてくれます。うわー、このひと、なんて親切でやさしいんだって思ったら、正しい筋トレをやりませんか?と誘われるのです。それは、ジムの月謝とは別オプションメニューだから、当然レッスン料をお支払いしなくてはなりません。

私は、そんなお金はないけれども、とりあえずジムのマシンの使い方を丁寧に教えてくださったので、申し訳ないと思い「お試し30分コース」をお願いしました。

すると、筋トレマシンのある場所から別のところに移動し、いろんな姿勢をとらされて筋力をチェックされるんです。笑ってしまったのが、前屈の姿勢で膝を伸ばして手が床につきますか?と言われたので、やってみせると「ああ、やわらかいですね」と褒められたのですけれど、そのあとにやった姿勢で太ももがグラグラになったら「ああ、やわらかいのではなく単に筋肉がのびてるだけですね」と。ガーン( ̄◇ ̄;)

「ほら、ゴムが伸びちゃってるのと同じで筋肉も弛緩しちゃうんですよ」と容赦ない説明(笑)わかるけど。。。

そして、筋肉を鍛えるには、なんといってもスクワットだと言われました。

その方、超有名なプロレスラーの付き人をして、その人自身も一時プロレスをやっていたそうです。スクワットは基本中の基本ということで、教えてくださいました。

本当のところは別にリングに立つ予定ないし「なんでスクワットなんだよー」って思っていました。

 

お尻をぐっとひく!もっと、もっと!

ももをグラグラさせない!

足先より前に膝がいかないように!

息を吸いながら曲げて、息を吐きながら膝をのばす!

筋肉は連続の動きをしている時は途中で止めない!

 

とまあ、ひえーってなりながら、スクワットを丁寧に教えていただいたのでした。家でひとりでやり始めた時は、正直10回やるのもつらく、これは続かないなあと思いましたけれども、毎日10回ずつやっていくうちに突然楽にできるようになってきました。すると、10回が20回になり、今では30回を2セットできるまでになったのでした。ジムにはインボディの筋力測定器があり、ジムに入ってまもなく計測した時は、見た目は太ってなんかいなくて普通の体型なのに、「かくれ肥満」というところにチェックが入ってしまいました。内臓脂肪がついているからだそうです。その上、脚の筋力が低いとチェックが入ってまして、自分の身体は老化してるんだなとかなりガッカリさせられました。

さてさて、それから3ヶ月経ち、再び計測してみたら、なんと、内臓脂肪は減少し、「やや痩せ」というところにチェックが入り、両脚の筋力が標準になり、筋肉量もかなりアップしていました。おそるべし!スクワット!あなどるなかれ!スクワット!

それは、ジムに通っているからだと思いますよね?実はジムに通い始めた途端に実家の母が寝込んでしまい、ほとんど行けなくなってしまったのでした。

今日はその漫画です。

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思いがけない展開になり、最初はまだ筋力がなかったので母の入浴介助は無駄なところに力が入りすぎ、翌日腰にきてしまいました。それで、ますます、筋力を鍛える必要があるなと実感した私は、その後、真面目にスクワットをやり始めると、こんなに楽な筋トレはないと思えるようになりました。

先日、ネットで見たら、スクワット15回は腹筋500回に相当すると書いてあり、真実かどうかはわかりませんけれども、それだと私は毎日腹筋を2000回やっているってこと?って思ったら、ニヤ〜って笑みがこぼれたのでした(笑)

 

しかし、人生とはほんと、つじつまがあってくるもので、母の介護のためにと鍛え始めたわけではないのですけれども、結果としてとてもいい順序でことが起きてきたわけです。スクワットで鍛えているせいか、母の入浴介助は意外にも楽しくやれるようになりました。必死な状態だったら、母に優しい言葉かけとかできませんものね。スクワットは私の生活を向上させてくれました。元レスラーにも感謝!