今日もぽれぽれ

「ポレポレ」とはスワヒリ語でのんびり、ゆっくりという意味です♡

母がいてこその実家

以前にもちょっと書いたのだけれども、実家というのは何なのだろうって思います。

辞書で引くと、

じっ‐か【実家】
1 自分の生まれた家。生家。
2 婚姻または養子縁組によって他家にはいった者からみて、その実父母の家。

とあります。

幸い私の実家は、建替えはしたものの、私の生まれた土地にある家なので、母が今住んでいる家は、辞書通り「実家」と言えます。

でも、もしこの先、母がいなくなり兄夫婦だけの家になったら、それは実家なのかなあと考えると、どうもしっくりこないような気がします。

また、うちの子供達にとっては、今私の住むこのマンションで生まれ育ったわけではありません。けれども、私が住んでいるということで、今は引越て別の場所に住む娘もここを実家と呼んでいます。

要するに、実家とは、自分の親が住んでいる場所のような気がしてなりません。

私の場合は、父は20年以上前に他界してしまったので、実家に行くと、いつも母がいます。

それって、当たり前のことだけれども、ものすごく嬉しいことなんですよね。

いるだけで有難いのです。

ところが、母は、常に家族のために何かしてあげていないと自分の存在価値がなくなってしまうように思っているのです。

この間も、たまたま実家に行った日が夫の誕生日だったので、そのことを告げると、家の中をあちこちウロウロして、不揃いの缶詰を3つ探しあて、これをあげてちょうだいと私に差し出しました。

私は実家の帰りに、買物をして帰る予定だったので、

「お母さん、悪いけど、重たいし、これはいいよ」

と突き返すと、母はすごく残念そうにしていました。

実家に行くと、母との別れ際、年老いていく母が不憫になり、実家からの帰り道は少しだけ悲しい気持ちになります。

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母に私のこの思いを伝えたら、少しだけ笑顔になりました。

 

夫への誕生日プレゼント

9月の夫の誕生日間近になってくると、子供達と毎年きまって今年はどうしようと悩みます。

その前に父の日があるので、そこでも子供達はプレゼントしているので、1年に2度だと、だんだんと何をあげたらいいのかわからなくなって来ます。

反対に、夫はお誕生日プレゼントを買うのが大好きな人で、皆のお誕生日が近づくと、いそいそとデパートに出かけて、選ぶのを楽しんでいるようで、とってもありがたいことです。

さて、今年のお誕生日を前にした8月、子供達と私とで会議。。。

これまで夫にプレゼントしてきたおもだったものを分析してみました。

高級靴磨きセット→一度も使ってない

落語視聴用CDラジカセ→使ってない

スポーツウォッチ→電池切れ

自動巻き腕時計用ウォッチワインダーボックス→電源切ってる

スポーツジム用トレーニングウェア一式→ジムに行かない

Appleから出してるオシャレなヘッドホン→使わない

Kindle→最初は使ってたけど今はほとんど使ってない

一体なんだったら長く気に入ってもらえるんだ!

と悩ましいプレゼント選びなのです。

今日は、そんな夫への誕生日プレゼントをテーマにした漫画です。

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とまあ、色々と考えて「リオデジャネイロ2016 日本代表選手 金メダリスト公式フレーム切手」をプレゼントすることにしたのですけれど、まさか、12個も金メダルを取るとは思ってもみなかったので、予算を考えて気が気じゃなかったです。この後パラリンピックもあるぞってドキドキしてましたが、残念なことに金メダルは取れなかったので、切手シートは12枚で打ち止め(笑)

それと、もうひとつ、ビッグな「イチロー選手MLB™3,000本安打達成記念プレミアムフレーム切手セット~3,000本の軌跡~」の切手セットもネット注文したので、夫も保管しがいのあるプレゼントになったのではないでしょうか。まだ全部届いていませんが。。。

ちなみに、日本郵便ときたら、金メダル切手シートを1枚ずつ送料つけて送ってくるんです。その送料が高い!切手シートが1400円だというのに、送料が620円もかかるんです。同時に買物かごに入れて注文しても、送料はひとつひとつにかかるという仕組み。

まあ、考えたら、これで儲けているような会社ですものね。仕方がないですね(笑)

 

 

 

 

オシャレしてケアホーム

認知症が進み始めケアホームに入所した義父に面会に行き、気付いたことがありました。それは、義父が私の名前を呼ばなくなったことです。

名前を忘れてしまったのかな?とも思ったのですけれども、もしかしたら、この人は誰かな?って思っているような感じがしたのでした。

それで、ケアホームに義父に面会に行く時、私は軽装で行くのをやめて、オシャレしていくことにしました。何故ならば義父はいつも私達家族を一流のお店に食事に招待してくださったので、私が義父と会う時は当然のことながらオシャレをして行ったからです。

 

ケアホームというところは、作業しやすいポロシャツとスラックスをはいているスタッフさんか、入所しているご年配の車椅子利用者が多いので、見た目バリっとオシャレしている人が全くいないということに気付きました。

義父は90まで会社経営者だったので、それこそ毎日スーツを着て出勤していたし、オフィス内で働く人も一応はバリっとしていたと思います。ところが、ケアホームは、くつろげる空間づくりをしているので、そこに入所している人も働くスタッフも、また訪問する人までもが、皆ほとんどがラフな格好をしているのです。

そんなところに、バリっとした格好でお嫁さんが面会に来たら刺激の少ない単調な毎日を華やいだ気分にさせてあげることが出来るのではないか、そう考えた私は、義父とデートに行くような気分でオシャレして訪問することにしました。

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義父は言ったそばから忘れてしまうので、その日は何度も何度も繰り返しほめてくれたのでした。帰りがけに、夫も「君の戦略は正しかったね。君の名前も呼んでたし。それに、今日のお父さんはものすごく嬉しそうだった」

いい意味での刺激は大事。

大好きな義父に忘れられないように、これからもオシャレしてデートファッションで面会に行こうと思います。

オリンピック選手の母

連日のオリンピックテレビ観戦で、最近、睡眠パターンがまた狂って来てます。つい夜中に見出してしまうと、気になって、なかなか寝付けません(笑)

今回のオリンピックでは、過去最高のメダル獲得数で日本中が沸き立っています。かくいう私も、ついこの間までそれほど興味なかったというのに、競泳で盛り上がり、体操でしびれ、柔道で感動し、卓球で涙し、テニスとレスリングとバドミントンでハラハラドキドキし、シンクロナイズドスイミングで萌え〜となってます。

オリンピック出場選手に選ばれるだけでもすごいことなのに、大観衆のいる晴れ舞台で、最高のパフォーマンスを発揮できる選手って、いったいどういう育ち方をしているのでしょう。表彰台にのぼる子供を支えてきたご家族にも大いに興味を持ってしまいました。

うちの子供は、もう大人だから全く無理なので、オリンピック選手になる可能性を秘めたタイに住む姪の6歳と4歳の女の子に、LINEで柔道とか体操とかいいんじゃない?と誘導してもたけれど、そもそも勝ち負けにそれほど執着しないようなので無理とのこと。それと努力で身につけるだけでなく、もともとの身体能力が高くないとやっぱり難しいように思います。

まあ、そうは言っても、憧れたり、夢を持つのは楽しいことですよね。

私も、夢というよりも野望のようなものを抱いて、家族に笑われています(笑)

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母子家庭時代 「ポルターガイスト現象?」

ひとの生活は「衣食住」が一番基本で、大事なのですけれども、日常満たされた生活をしていると、「衣食住」のありがたみというのは気付きにくいものです。

私が離婚して最初に住んだアパートでは「住」で摩訶不思議な事件が起こりました。

ひとつは、前回のベランダの鉄冊落下事件で救急車が来た話です。

poremoto.hatenablog.com

実はまだ他にも驚くべき事件があり、その代表格を4つご紹介したいと思います。

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①台所珍事件

 

ある日、台所の流し壁面一番右下の角のタイルにヒビが入り割れてしまいました。指でいじると正方形のタイルが1枚ポロリと取れてしまいました。まあ、1枚だしたいしたことはないと、そのタイルを処分して休みました。

明け方だったか、何事かと思うほどのものすごい大きな音がししました。台所の方だったので、扉を開けて様子を見にいくと、なんと、台所の壁面タイルが1枚残らず落下して、流しや床に散乱していたのでした。

一番下の角の1枚がはずれたせいで、壁面タイルの均衡が破れてしまったのでしょうか?子供達も見にやってきて、あまりの事態に笑いがこみ上げてきて、皆で大笑いしてしまいました。バケツに1枚ずつはがれ落ちたタイルを片付け、大家さんに惨状を話したら、信じがたいと言わんばかり大家さんも立ち尽くしていました。

大至急新しいタイルを貼りなおしてもらいましたが、仕事で家をあけなくてはいけない私にとって、職人さんが入るというのはとてもやっかいなことでした。

 

②居間の天井珍事件

 

私達の住んでいた階は、4階建ての3階でした。大雨が何日も続いたある日、寝泊まりしている和室で雨漏りがしました。まさかと思って天井を見上げると、照明器具のあたりがちょうど天井の真ん中へんなのですが、そこがたわんでいて、濡れており、よーく見ると水滴がいっぱいついているではないですか。最上階ならわかるけれど、途中階なのに雨漏り?意味がわからず台に乗り長い棒で天井を突っついてみると、汚れた天井裏の水がビシャっと落ちて来ました。例によって、大至急大家さんに連絡すると、またもや、そんなバカなと言いつつ駆けつけ、私がやったように棒でつっついたら、大家さんはまともに天井裏の汚れた水を顔に受けギャーッとなったのでした。

大家さんが専門工事の人を連れて原因を調べたところ、4階ベランダのサッシ下の隙間から3階天井裏に雨水が入りこんだようで、3階と4階の天井裏の修復とベランダの塗装をやり直しするということになりました。

私達はその雨漏りのする6畳和室で布団を3枚並べて寝ていたのですけれども、ベランダに洗濯機があると邪魔ということで、なんと和室の真ん中に養生シートを敷きズドーンと置かれてしまったのでした。最低でも1週間は修復するのにかかるということで、仕方がないので、子供達だけ実家で寝起きをお願いし、私は4畳半の食卓テーブルの下で寝るという生活になりました。

 

③浴室の壁面タイル事件

 

最初、ものすごい違和感を感じました。浴室のタイル壁面がジワジワと膨らみだしたのです。タイル目地にヒビが入っているわけでもなく、ただ壁面が内部に迫って来たのでした。子供達は面白がって「爆発するんじゃ?」なんて言ってましたけれど、手でコンコンとたたいてみると、タイルと実際の壁面との間に隙間が出来てきて、それがものすごい勢いで膨れ出したのでした。どういうことが原因でなるのかさっぱりわからず、ただ、またここで工事の人が入るのかと思うとウンザリでしたので、しばらく黙って様子を見ていたのですが、空洞の中でセメントのかけらが時々音を立てて落ちているようなので、また台所のようなことが起きたら怖いので、大家さんを呼びました。

大家さんも毎回毎回、本当に信じられないという顔をして、私達の部屋で次々と起きる珍事に首をかしげていました。

 

④謎の浴槽珍事件

 

冬のある日、子供達にお風呂のお湯を入れたから入りなさいと裸にして入れたところ、「お母さん、お湯がまだ少ないよー」というので、どれどれと見に行くとたしかにお湯はまだ少ししか入っていなかったので、私も一緒に入り先に子供達を洗いながら、お湯が溜まるのを待っていました。すると、一定量からずっと溜まっていく気配がないのです。これはおかしいと浴槽のフタを取りのぞくと、あらら、ホーローの浴槽の側面に5〜6センチ程度の大きな穴が空いているではないですか!残念なことにシャワーのないお風呂だったので、湯船のお湯を使うしかなかったのに、お湯が溜まっていないということは、子供達の泡だらけの身体を洗い流せません。大至急私が湯船に入り、側面の穴にまるでヨガみたいな姿勢で足裏でフタをしお湯を溜めて、二人が浴室を出ていくまでずっと足で押さえながら子供達の頭や身体にお湯をかけてあげました。さて、私はどうやって、この状態から身体を洗って出られるのだろうか?しばらく悩んでいましたが、とりあえず今溜まっているお湯が流れ落ちる前に一気に洗おうと塞いでいた足を穴からはずした途端、ものすごい勢いでお湯は流れ出ていき、私が洗い終わるが先か、お湯がなくなるのが先かの競争みたいな感じでお風呂を出たのでした。

翌日、また残念なお知らせとも言うべき大家さんへ連絡すると、大きな穴を見て、最初ハンズとかで塞げるのがないか調べてみますと言っていたけれど、ついに断念して、「同じサイズの新しい浴槽を注文したので、届くまでしばらくお風呂は銭湯にでも行ってください」と言われました。

ある日、会社から帰るとアパートのドアの真ん前に段ボールで包装された浴槽がドカーンと置いてありました。なんで、こんなところに放置してあるのだろうと大家さんに電話すると、なんと本当に耳を疑うようなことを知らされたのでした。

「中にある浴槽と同じサイズを注文したので、今日業者のひとが取り付けに昼間お部屋に入ったんです。ところが、中のお風呂がですね、浴室のドアよりも大きくて、外に出せないんですよ」

「え?どういうことですか?じゃ、あの浴槽はどこから入れたんですか?」

「そうなんですよねー。いったいどうやって入れたんだろうって話していたんですよ。でもまあ、出すしかないので今のはバーナーで焼き切って出そうということになったんですけどね、そっちは解体して出せたとしても、同じサイズの注文した浴槽は、どうやって入れたらいいのかわからないんですよ」

「それで、ドアの外に置いてあるんですか?」

「そうなんですよ。とりあえず、ちょっと考えさせて下さいと業者の人が言ってますので、入口で邪魔ですけれど、そこに置かせてください」

しばらく、ただいまと家に入ろうとする度にドア前に置かれた真新しい浴槽にため息が出て、出かけようとドアに鍵をかける度に浴槽をうらめしく思う日々が続いていました。そして、決断が下されました。

「一応ですね、新しい浴槽の角を4カ所を斜めにカットして転がしながら入れれば、何とか浴室のドアから入れられるのではないかと言っているので、真新しいステンレス浴槽の角を落としてしまいますがご了承ください」との電話が入りました。

ステンレス浴槽の角をカットする?意味がわかりませんけれど、まあ、いつまでもドア前に浴槽があるのはとても邪魔だったので、おまかせしました。

仕事から家に帰ると子供達が大騒ぎしてました。

「お母さん!お風呂、お風呂入ったよ!」

どれどれと浴室に見にいくと、なんと、ステンレスの浴槽の角が本当に斜めにカットされていました。

ステンレス浴槽って、ステンレスカットすると、発泡スチロールの浴槽を荷造り用プチプチのものすごく大きいのでくるんでいるって知ってました?私はステンレスの中があのような構造になっているとは知らず、すごい衝撃が走りました。

そして、斜めにカットしたその部分から、瞬く間にカビが生えて、ああ、きっとステンレスでサンドイッチされた発泡スチロールの中はカビの温床になってしまうんだろうなあと、悲しい気持ちになったのでした。

 

そうそう、この時期、娘が小学校で岡本真夜の「TOMORROW」を習い、音楽会で歌うとか言って家でもよく歌っていたんですよね。

※涙の数だけ強くなれるよ
アスファルトに咲く 花のように
見るものすべてに おびえないで
明日は来るよ 君のために※

 

この歌がねえ、本当に心にささったというか、この歌にずいぶんと励まされました。

 

「明日は来るよ 君のために〜♪」

ってね

母子家庭時代 「ゲームボーイとポケモン世代」

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日本でも『Pokémon GOが始まりましたね。

賛否両論はあるものの、かつてのポケモン世代は喜びにうちふるえているのではないでしょうか。

離婚した当初、我が家にも初代ゲームボーイ機とゲームボーイポケットの各1台ずつあったので、我が家のきょうだいふたりがまだ小さかった頃、ポケモンで仲良く遊びながら私の帰りを待っていました。

ポケモン赤と緑の時代は、ゲーム機のディスプレイはモノクロでした。

その後、ゲームソフトと共にゲーム機自体が進化し、ポケモン金と銀の時代になると、ゲームボーイカラーというのが世の中に出回りました。ゲームの画面がカラー表示になり、ポケモン達はより魅力あふれる生き物になって、子供達の心をわしづかみにしました。

すぐ近所の実家にはうちの子達と1歳ずつ年下の姉と弟がいて、年が1つ違いの4人はいつも一緒に遊んでとても仲良しでした。実家の兄は、新しモノ好きなのと、彼自身がゲーム好きだったので、自分の子供達にも真っ先にこのゲームボーイカラーをそれぞれ1台ずつ買ってあげていました。

うちはというと、古いモノクロのゲーム機が2台だったので、ある時、おせっかいというか親切な兄が私に言いました。

「お前、もうゲームボーイカラーの時代だよ。みんながゲーム機を持っていないと、一緒に遊べないんだ。お前が買ってやれないんだったら、俺がふたりのを買ってあげるよ」

子供達は大喜びで、おじちゃんが買ってくれたゲームボーイカラーを使い、その日から夢中になってポケモン金と銀で遊び始めました。当時のポケモンは通信ケーブルで自分が持っていないポケモンを相手とやり取り出来たので、4人は互いに交換しながら、楽しくポケモンを集めていたように思います。

 

息子は「スーパーマリオ」からのテレビゲーム世代だったので、ポケモンだけでなく、いろんなゲームをお小遣いを貯めては買っていました。本を読むのは大の苦手な息子が、何故か難しい攻略本だけは一生懸命読んでいました。

 

離婚後引越してから通い出したピアノ教室の待合室には、当時は高額だったAppleのパソコンがおいてあり、子供向けグラフィックソフトの「キッドピクス」が入っていて、それがまた楽しくて娘も息子もパソコンに触りたくて通っていました。ある時、ピアノの女の先生から息子に音楽は全く無理と太鼓判を押され、その代わりに同じお月謝で、そこにいた男先生がパソコンの使い方を教えてくれました。そして、英語版ソフトを入れ息子オリジナルのゲームを作らせてくれました。

出来た作品を見せてもらったら、レンガ模様の迷路に「ウンコの部屋」や「金貨の部屋」があり、入口からマウスを使って迷路をさまようという単純なゲームでしたけれど、傑作だったのは、マウスで、「ウンコの部屋」に一歩入ると「うわー、うんこがいっぱいだー!」とまだ声変わりしていない甲高い息子の叫び声がして、家族で大笑いしたのですが、この当時から息子のレベルがうかがえます(笑)

 

私が働いて家にあまりいなかった時間、子供達ふたりは、ある意味ポケモンなどのゲームに支えられていました。昔の子供達のように外で遊べといっても、ほとんどの子供達は習い事のスケジュールが色々と入っていました。また、親同士が仲良しでないと、友達の家に行き来は出来ないし、いつからかアポをとらないで友達の家に勝手に上がり込むことはタブーとされている時代になっていたのでした。

きょうだいで仲良く家で遊べたポケモンは、あの当時の母子家庭時代の不都合な生活を一掃させてしまうくらいチカラがあったように思います。そういう意味では、私はポケモンにとても感謝しています。

 

『Pokémon GO』が日本解禁となった翌日、家族が皆家に集まり食事会をしました。きょうだいが仲良くゲームに興じている風景を見て、何故だか私は昔をなつかしく思い出しました。いろいろあったことが、夢のようで、ポケモンと一緒に、時空を飛んでいるような気持ちになりました。

母子家庭時代 「女性であることが後回し」

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BGM:こぬか雨(TERRY & 伊藤銀次) なんちゃって

 

今でこそ可愛いくてそこそこ品物の良い女性用下着がいたるところで出回っていますけれども、私の最初の結婚していた時分は、下着といったらデパートかスーパーしかなかったように思います。

そして、子育て中は、下着といったら、まずは子供のものを優先してしまうものです。それは毎日汚れるしお洗濯でボロボロになるし、しかも成長が早くてあっという間に着られなくなってしまうからです。離婚前の私は子育て必死の時代で、しかも後半は経済的にも困窮していたので、自分の下着に気を配る余裕がほとんどなく、ブラジャーなどはワイヤーが取れてしまったり、レースがくてくてになっていたり、色鮮やかだったものも色あせてしまっていましたが、まあつけられればいいやと思っていました。

離婚の時に強く背中を押してくれた友達が、引越を手伝ってくれました。私の衣類が入っているタンスの中身を出して袋に入れて段ボールに詰める作業をしていた彼女が呆れたように言いました。

「ちょっと、何?これ。ひどい下着を着てるのね。私だったら、こんなの捨てるわ」

また、タイツやストッキングを詰めている時には

「ちょっと、なんで、こんな伝線してるのとか、穴が空いているのとかを引き出しに入れてるのよ。まともなのがないじゃない」

「いや、冬寒い時にジーンズの下にはくにはそんなんでいいのよ」

「でも、ちょっと多すぎるんじゃないの?」

「じゃあ、ひどいのは捨ててくれてかまわないから」

と私が言うと

「ほな、じゃんじゃん捨てるわよ」

と、ポイポイと捨て始めました。

彼女は、独身のいわゆるキャリアウーマンだったのと、ちょうどバブル時代の恩恵を受けていたので、お洋服にしても、バッグや靴にしても、それは高級なものを持っていました。当然、彼女の下着も推して知るべしだったと思います。

彼女の感覚では、子供がいるいないに関わらず、女性であることは人生の最優先だったと思います。身近の友達がこんなにも女を捨てた人生をやっていることに、不快感をあらわにしていました。

私はというと、引越を手伝ってもらったことを、ひどく後悔していました。

 

離婚して少し生活が落ち着いて来たある日、胸に手をあててみたら、なんだかしこりのようなものがあることに気付きました。心配になったので、都立駒込病院の乳腺外科の外来に診察に行きました。長い時間待たされて診察室に入ると、かなり恰幅の良いご年配の先生が座っていました。後で聞いた話によると、乳房外科の一番えらい先生でした。

先生は、私の乳房を触診しながら

「最後にセックスしたのはいつ?」と、突然失礼なことを聞いてきました。

「え?あ、あのおー、私、離婚しているので」と応えると

「離婚してたって、セックスしていいじゃない」と笑っています。

「いえ、母子家庭になったばかりで、そんな状況ではありません」

と、応えながら、私はいったい、なんでこんなことを話さなくてはならないのかと、涙が出そうになりました。

触診を終えると先生が

「大丈夫。しこりはたぶん乳腺でしょう。あんた、女の細腕で子供を育てているの?子供はいくつ?」

「上が7歳で下が5歳です」

と言うと、先生はうーんという困ったような顔をして

「乳がんっていうのは、ほとんど、お父ちゃんが発見するもんなんだ。わかるだろ?でも、あんた、お父ちゃんいないってことはさあ、これから、時々、自分のオッパイを横になった時に自分で触ってチェックしないとダメだよ。やり方はこうやってね…」

と言いながら、私の手の平をとると、先生が私の乳房の上にのせて、こうやって触るんだよって教えてくれました。

そして、ガッハッハと笑うと、

「お母さん、いいかい。母子家庭っていうのはね、あんたの健康が第一なんだ。子供のためにも、ちゃんと自分の身体の健康チェックをするんだよ。頑張りなさい」

と言って診察は無事に終わりました。診察室を出たら、何だか自分でもよくわからない涙があふれて来て困りました。

 

それから、ずいぶんと経ったある日のことでした。

仕事では表参道から渋谷に徒歩で取引先におつかいを頼まれることが多かったのですが、その途中246の通りに面したところに可愛い下着のショップを見つけました。

ドキドキしながら、中に入ってみると、夢見るような可愛い下着がわんさかと綺麗にディスプレイしてあり、女性の下着がこんなにも素敵で愛らしいものだということを初めて知りました。

店員さんが「来週、上の階でセールをやりますから、是非お越しください。かなりお安くなりますよ」と教えてくれました。

翌週、私は昼休みに会社を抜け出してセールに行きました。ワゴンの中には、可愛い下着がサイズごとに分けられていっぱい入っていました。試着して、自分としてはかなり思い切った買物をしました。かわいい水色の袋につめられた、愛らしい下着達!自分の暮らしに一番欠けていたものは、自分へのプチ贅沢でした。

誰にも見せる予定はないけれども、自分だけが楽しめるオシャレ。下着一枚でこんなに女性は豊かな気持ちになれるんだと感動した日でした。

そして、いつか娘がブラジャーをつけるようになった時には、ここで可愛くて心地よいものを買ってあげようと思ったのでした。