今日もぽれぽれ

「ポレポレ」とはスワヒリ語でのんびり、ゆっくりという意味です♡

息子の誕生秘話

子供の誕生日は、小さい時ならいざ知らず、さすがに30歳近くなると、誕生日だからといってチヤホヤする気分にはなれず、むしろ大変な思いをして産んだ私を労って感謝してもらいたい気持ちです(笑)

一人目の娘の出産は初めてだったので陣痛の波もわからず、猛烈な痛みに長時間苦しみ、挙げ句の果てに最後は分娩室にひとり閉じ込められてしまい大変な思いをしました。二度とあんな思いはしたくないというほどつらかったはずなのに、育て始めると子供の可愛さはお産の痛みを忘れさせてくれるものです。そして、あの可愛い盛りの子育てをもう一度経験したいという欲求が強まり、どうしても二人目が欲しくなったのでした。

 

さて、二人目が授かると、一人目とは打って変わり、お産の恐怖というものを全く感じず、むしろワクワクとした気持ちで出産当日を迎えました。

やがて陣痛らしきものが来始めたなという時、まずは体力がいるからと実家で夕飯をモリモリいただき、その後シャワーを浴びて、自ら着替えの入った荷物を持ちひとりで産院に向かいました。

前回、病院の出産で悲しくつらい思いをしたので、2回目は産院にしようと決めていました。小さな産院は他に入院しているひともいなくて、私だけでした。

夜の9時過ぎになり、だんだんと陣痛が本格的になってきても、二度目だったので痛みの周期を身体で感じることができ、余裕でテレビドラマをみていました。なぜなら、3月という月は番組改変時期にあたり、9時からも10時からも、大好きなドラマの最終回があったので、どうしてもそれがみたくてテレビに集中していたのでした。

その時のもようをのちに息子が知りたがり、ある日、私に聞いてきたのでした。今日の漫画はその時のものです。

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息子は、茶の間で軽いノリで聞いてきたので、こっちも軽いノリでおもしろおかしく息子に誕生秘話を語ったら、それがなんと、学校で作文を書くための聞き込みだったのでした。

保護者会に行くと、同じクラスのお母さんが私に話しかけて来て、息子の作文読んだけど、面白いわねえというのでした。なんのことかと教室の後ろを見ると、壁に作文が掲示されいて、誰もが子供たち皆の作文を読める状態になっていました。もしやと思って慌てて息子の作文をみつけてみたら、なんとお母さんはドラマの最終回がみられなくてすごくガッカリしたと書かれているじゃないですか!

他のお子さんの作文は、おじいちゃんもおばあちゃんも家族みんなが大喜びしましたとか書かれているというのに、息子の作文は母はガッカリしたと書いてあったので、もう顔から火が出るほど恥ずかしい思いをしました。なんて愛情の薄い母親かと思いますよね?

しかし、自分が聞いた話をそのまま素直に作文にしたためた息子に罪はありません。その時、子供は正直すぎるから、うっかりが通用しないなということを学んだのでした。

まあ、そんなことも、今から思うと懐かしい思い出のひとつです。

 

poremoto.hatenablog.com

寝室ものがたり

春、桜の季節。新しい門出の春。

私たち日本人は、この桜の季節の春に、心をリセットする力があるように思います。楽しかったこともおわかれしなくてはならなくなりますが、いやなこと、つらかったこと、苦しかったこと、悲しいことも、一緒におわかれ。

桜の花は、慈しみの深い花ですよね。

私の人生もその時代時代で色々とありましたけれども、いつもこの満開の桜の季節にパワーをもらい助けてもらっていた気がします。

今日はその満開の桜のパワーももらって漫画を描きました。

なぜそんな前置きが必要なのか?

去年、私は家族をネタにして漫画を描き始めてしまったことを、後悔するはめに陥りました。ネタのすべてが虚構の世界で、自分が創り出した全く架空の家族だったらどんなにか良かったかと思いました。

これまでも、またこの先も、もし私の漫画で、誰かを傷つけてしまうことがあったら、先にごめんなさいと謝らせてください。なぜなら、私は我が家で起こった出来事をぽれぽれと漫画に描いているので、誰かを傷つける意図は全くないからです。

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「寝室ものがたり」なんてタイトルだから、なんのことかと変なことを想像してしまいました?

このつらい時、夫が笑いをとって優しく励ましてくれました。たかが隣の部屋のベッドから戻っただけで、「ようこそ、おかえり〜」と言われちゃいました(笑)夫婦も家族も支え合う優しさが一番ですね。

桜の季節、世界中のすべてのひとが幸せになりますように!そして、一生懸命生きて!!

 

 

 

 

 

 

体組成計を買いました

新しく体組成計を買いました!

それまで我が家にあったものは、内臓脂肪レベル、推定骨量、筋肉量、体内年齢は計測できませんでした。それは、夫も私も、まだまだ若い気でいたので、そのような項目の必要性を感じていなかったせいもあります。基本、体重計で十分と思っていました。

ところが、最近は人体の特集番組がシリーズで放映され、自分の身体のことを総合的に知る必要性を感じるようになりました。また、ジムでインボディ検査し筋肉量を特に気にするようになると、家でも計測できる体組成計が欲しくなりました。

以前までのはハンドルを持ち上げるタイプだったのですけれど、今度のは個人データを入力しておけば、足を乗せるだけで登録上の人間を識別しスキャンしてくれ、大きな声で結果を教えてくれるので、いちいち屈まなくても数値を知ることができるのはありがたいです。

ということで、本日の漫画です。

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体内年齢は予想外な結果で、一番問題ありと思われた夫よりも、息子の方がやばかったです(笑)息子ひとり数値結果に納得いかないご様子。高齢者に優しいサービス年齢を言っているのか?なんてこと、あるわけないです!

朝からこの体組成計に大声で数値を読み上げられると、家族皆それぞれが毎日の食生活を見直し、自分で健康管理できるようになりそうですね。そういう習慣をつくることが何よりも大切なのかもしれません。

それにしても、体内年齢の正直なこと(爆)

 

どうでもいいような思い出ほど楽しい

子供が生まれると、親というものは、こういうふうに育てたい、こんな子になったら嬉しいなと、多少なりとも甘い夢を抱きながら子育てをしたりするものです。

ところが実際の子育ては、思い通りにならず腹が立ったり、かと思うと笑わされたり、泣かされたり、驚かされたり、想定外の連続ですよね。誰もが、生まれて来た子の親は初めてなのだから、当然といえば当然なのですけれども。

生まれてきてくれただけでもう十分に幸せにしてもらったなどと、最初は親にしてもらった感動で、子供に対して感謝の気持ちでいっぱいになるのですが、そんなことは日々の育児疲れで徐々に失われてしまいます。

育児、家事、仕事に追われ出すと、毎日がジェットコースターに乗っているような勢いで過ぎ去り、子供達との会話もその時一瞬は楽しくなごむのですが、爆風のごとく飛び散っていきます。

今だったら、スマホがあるから動画で簡単に記録がとれるかもしれませんね。でも、そういうのも整理しなければ、洪水のようなデータの中に流されてしまうのではないでしょうか。

大事なのは、時々、立ち止まることのような気がします。そして、スマホやカメラに依存しないで、しっかりと子供の様子をながめ、話を聞いてあげることのような気がします。

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結局、子供達は親の思ったとおりに育っていないけれども、子育てを振り返ってみれば、それなりに楽しいことがいっぱいあったんですよね。

最近、夫婦ふたりでの夕食がほとんどなので、いつしか子供達との思い出が酒の肴になって、記憶の引き出しを開けて楽しむようになりました。

そうやって時々振り返ってみると、日常のどうでもいいような出来事の方が懐かしく思い出されるのです。不思議ですよね。

日常の子供達とのくだらない会話、瑣末な出来事こそ、家族にとって素晴らしい宝のような思い出の気がします。

ですから、その一瞬に気づいたら、子供達の様子に心をすませて感じてみましょう。のちに振り返った時、キラキラと宝石のような時間だったと思えるかもしれません。

夫の超自己流体操

夫は、小学校ではリレーの選手だったそうで、足も早かったらしいです。ただ私は夫の小学校時代を知らないので、それが本当なのかどうかはわかりません。けれども、大学時代はサークルで野球のピッチャーをやり、皆に上手だと褒められていたようなので運動神経は良いみたいです。

そんな夫ですが、社会人になって仕事が忙しくなり、接待ゴルフ以外では運動らしきことをほとんどしなくなってしまいました。

私はもともと運動神経のない人間でしたので、スポーツは学校の授業以外ですることはありませんでした。ところが、50歳を過ぎてから、よく転ぶようになり急激に身体の衰えを感じ、ノルディックウォーキングを始めたり、古武道を習いに行き出したりと、身体を動かすことを意識した生活をするようになりました。

また母の入浴介助をするようになってから、さらに身体を鍛えようとジムに通いだし、筋トレをしたり、また骨盤矯正ヨガを習ったり、加齢で衰えて来た身体のあちこちを改善する運動を心がけるようになりました。

夫も何年か前から、健康を意識するようになり、その類の書物を一生懸命に読み、あれを食べるといいとか、これが身体に効くとか、にわかに得た知識で、私に調味料や野菜について語るようになりました。

けれども私に言わせれば、夫の健康法は食べることばかりです。もちろん健康のために栄養を考えることは大事ですけれども、それよりも毎日運動をする習慣を身につけることの方が大事なのではないかと思います。

私が家でスクワットを続けている姿を見て影響されたのか、最近夫も鏡の前で腕をブンブン振り回すようになりました。その動かし方は、全くむちゃくちゃで、私からするとそんな無鉄砲な動かし方を準備運動もせずに始めると逆効果になるのではと思うのですが。。。

とまあ、そんなことで今日の漫画です。

 

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私は、肩と背中が凝るという夫のために、ヨガ教室で教わってきた呼吸をきちんとしながら肩甲骨をよせるという「ゆっくりエクササイズ」をおしえました。

すると、どうでしょう。

夫は、ええーーー?腕を90度にするのがそもそもできないのです。一生懸命やろうとしている姿を見ていたら、私はせんだみつおのナハ!ナハ!というのにしか見えなくなってしまい、笑いが込み上げて仕方がありませんでした。

 

しあわせの連鎖

還暦過ぎると、だいたいの家は子供たちも自立し、夫婦の時間が増えていきます。それと同時に、それぞれの親の介護も始まったり、ひとつ手が離れると、もうひとつ気がかりなことが増えてきます。

とはいえ、気にかける家族がいる、気にかけてもらえる家族がいるということは、ありがたいことですよね。

実家の母に会いに行くと、以前はよくいろんな会話ができたのですが、最近では

「もう、よたばあさんよ(よたよたしているおばあさんの意味)」

「もう、100歳だからしょうがない(実際は90歳)」

「見て、こんな血管が浮き出て、骨皮すじ子よ(骨と皮と浮き出た血管しかないという意味)」

このおきまりの三つの会話ばかり繰り返している母。

そんな母ですが、私がたずねる度に、毎回夫のことを気にかけてくれます。

「今日は会社?」

「家にいるんだったら早く帰ってあげないとね。」

「なんか持っていってあげるものはないかしら?」

というふうに。

寝たきりでも、いつも家族のことを気にかけてくれる母には本当に頭が下がります。ありがたいことですね。

けれども、そう言ったかと思うと、おきまりの三つの会話がまた繰り返され、長居してもキャッチボールのような会話は続かなくなりました。

先週末は、夫婦ふたりで健康のために徒歩で実家に行きました。いつも夫のことを気にかけてくれるので夫の顔を見せてあげようかなと。途中、母の好きそうな舟和の芋羊羹を買ってお土産にして。夫を連れて行くと、案の定母はものすごく大喜びし、いつもより一生懸命会話している感じでした。

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母の元気な様子に、私もすっかり気分がよくなり、実家の帰りに、まだ行ったことのない近所の鰻屋さんに行き、夫に鰻をご馳走しました。思いがけず大好物にありつけた夫の喜びようは言うまでもなく。

母が喜んで、夫が喜んで、その姿を見て私も嬉しくなりました。

家への帰り道で、途中買い物し手袋をはずしてしまった私の手を夫がさりげなく自分のポケットにいれてギュッと温めてくれました。なんだか私は胸をズキューンと打たれたような気持ちでした。

「ポケギュ」

ちょっと流行らせません?シニア夫婦に(笑)

「ポケギュ」状態で私は夫に言いました。

「今日は母に会いに行ってくれてありがとう。同じことばかり繰り返していて会話にならないけれどね」

すると夫が

「会話なんてどうだっていいんだよ。大事なのは、顔を見せてあげることなんだから。」

ケアホームに入居している義父も、やはり私達が顔を見せるととても喜びます。毎回ほとんど同じような会話をしているだけですけれど、会いに行けばとても嬉しそうな笑顔を見せてくれます。その笑顔を見て、夫も私も幸せな気持ちになります。

しあわせはこんなささやかな行為でも連鎖していくのですよね。

 

 

当たり前のようですごいこと

私たちは普通、生まれた時から家族がいます。

古いアルバムを開くと、私には記憶のない家族写真があります。当たり前のようなごく普通の家族の情景が写っているわけですが、よく考えてみると、なんだかすごいことのような気がしませんか?

私がこの両親を選んで生まれたわけではないのに、この両親の子供としてこの世に生まれてきて、気づくと家族になっていたんです。

そういうことは当たり前なので、ありがたみを感じにくいけれども、どの親に生まれてくるかわからない自分の命が、この親のもとに生まれたと考えると、これはすごいことなのではないかと思いますよね。

 

私は一度離婚して、15年前に再婚をしたのですが、今年のお正月に家族で食事をしている時、ふと、「あら、この家族は私がつくったんだ」と思いました。

生まれた時からいる当たり前の家族のほかに、長い年月を共にしてきた家族(夫婦だったり、親子だったり)というのは、当たり前の家族以上の、ほとんど奇跡に近い家族なんじゃないかしら?と思いました。

手繰り寄せられたんですよね〜、不思議なチカラで。

 

 

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家族がつくる歴史には、家族だからこそ感じる煩わしさ大変さ、つらいことや、悲しいこと、いろいろあるけれども、家族で一緒に乗り越えていきたいですよね。そうして、また一段と盤石な家族になるんだと思います。

いたらない家族をいつも支えてくれる夫に感謝です!